
日本の曹洞宗の開祖である道元禅師は、中国に留学しました。
そこで彼の人生に決定的な影響を与える事件に遭遇したのです。
寺で食事の世話をする人を典座(てんぞ)といいます。
道元禅師が天竜山で修行中、仏殿(本尊様を安置する堂)の前で一人の老僧がきのこを日に干しています。
暑い陽ざしの下で笠もかぶらずきのこを並べている姿がいかにも苦しそうです。
老僧の背は弓のように曲がり、眉は鶴の羽のように白い。
道元禅師がその方に近づいて、「おいくつでございましょうか」と質問しますと、その僧は「六十八歳」と答えました。
「なぜ行者(修行僧)や下働きの人を使わないのですか」と聞くと、老典座は
「他は是れ吾にあらず」(自分が修行せずに他の人にしてもらったのでは、自分のしたことにならない)というのです。
道元はさらに、「そのとおりでありましょう。しかし、今は暑いので、もう少し涼しくなってからされてはいかがでしょうか」と彼をいたわると、老典座は、
「更に何れの時をか待たん(いまやらずに、いつするのだ)」と答えたのです。
自分のことは自分ですることが修行なのだ、他人に修行をしてもらうことできないのだという意味です。
毎日の生活に一生懸命になり、「全身全霊」をあげてやるべきことに取り組むというのが、心を磨き、徳を積むもっともよい方法なのです。
『困ったことは起こらない』
浜松医科大学名誉教授、高田明和 著
きこ書房
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