
『「下手だから味がある」…こう考えるだけで、いい印象が生まれてくる』
私は、スピーチはその人なりの味が出せればそれでいいと思っている。
「書痙(しょけい)」とは、だれもいない場所ではきちんとして字を書けるのに、人前に出ると手がふるえて書けなくなる症状だ。
これは書くのがいやだ、書きたくないという願望が無意識のうちに作用している。
この心理をさらに分析してみると、多くの場合、できるだけうまい字を書こうと思っている。
下手な(と自分で思い込んでいる)字を人に見せるのが恥ずかしいので、つい人前では緊張しすぎて、字が書けなくなってしまう。
フロイトのいう「病気への逃げ込み」だ。
完璧を期する人ほど、この種の病気にかかりやすくなる。
こうした人には、私はいつも「武者小路実篤の字を見なさい」という。
味のある字ではあるが、書道の本筋から見れば、これほど下手な字はない。
しかし下手でも、味があればそれはすばらしいものになる。
スピーチもしかりで、完璧なスピーチをめざすと失敗しやすいし、スピーチをするのが嫌いになってくる。
もちろん多くのスピーチは決まりきったいいまわしをつなげるだけでいい。
だが、そういう決まりきったスピーチを望む人は、そういない。
できるなら、気のきいたことをいって、人を感動させようという気持ちがだれにもある。
その気持ちが強すぎると、今度は逆に心にとどくひとことを発することができなくなってしまうのだ。
だから、完璧を望まず、自分の穴だらけの実態をそのままスピーチに表すのがいいのである。
人間でもそうだ。
一分のスキもない人というのは、周囲が息苦しくなる。
オシャレもしかり。
全身ブランドもので身を飾っていると、かえって野暮になる。
もしそれでも完璧を望みたい人は、やはり原稿をあらかじめ書いておいて、それを読むことだろう。
遠藤周作さんも、私の弟の娘の結婚式では原稿を読んでいた。
あの人だって原稿を読む。
あなたがそれをやってもおかしくはないはずである。
『人間的魅力の育て方』
斎藤茂太 著
三笠書房
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