
リーダーといっても、何も政界に必要なリーダーとは、特別なものではありません。
会社にしても同じことです。
社長がエゴをむき出したら、下の者はついてこない。
総理総裁にしろ、社長にしろ、リーダーに要求されるのは、“無私(むし)の人”であることだと思う。
まして総理大臣というのは、一億を越える国民の意見を聞いて、ひとつのものをまとめていかなくてはならない、役割を背負っているものです。
なおのこと無私の人でないといけません。
総理大臣にしろ、社長にしろ、自分のエゴをむき出していては出来ない仕事なんです。
その意味では、最も損な役回りですよ。
だから、本来なら誰も総理大臣にはなりたがらないはずのものなのです。
ところが、現実はその逆で、誰も彼もが総理大臣になりたがっている。
これはおかしい。
ある意味では、総理大臣とか、社長など、トップに立つ人物は、自分からトップになるべきではなく、
最もトップになりたくないと思っている人が、なるべきだといえるかも知れません。
《無私の人・土光敏夫》
引用:清貧と復興 土光敏夫100の言葉
出町 譲 著
文芸春秋
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