
タリーズコーヒージャパン株式会社の創業者“松田公太”氏が、銀座にタリーズ一号店を出した時のお話しです。
銀座店での日々が、体力的には一番きつい時期だった。
店は年中無休で、私も休みは一日もなし。
営業時間の朝七時から夜十一時までバリスタとしてコーヒーをつくり続けた後、閉店してからは店内の掃除や事務的な仕事が待っている。
すべてを終えて寝るのが午前二時か三時頃。
当然、横浜の自宅まで帰る余裕もなく、週の半分以上は店に泊まり込むことになった。
地下の座席に寝袋を敷いて寝るのである。
秋になる頃には寒さがこたえ始めた。
閉店後、暖房は止めていたので、寝袋のなかに電気毛布を入れて寒さをしのいだ。
疲れで朝も起きられず、六時半頃、仕事にやってきたバイトの声で目覚めるというのもしばしばだった。
体力には自信があったが、オープンから二ヶ月で体重は七キロ減って六十八キロになった。
朝、昼と売れ残りのパンを食べ続ける毎日だったから、それも仕方なかった。
引用:すべては一杯のコーヒーから
松田公太 著
新潮文庫
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