竹内宏「独創力こそ、工場の誇り」

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竹内宏 いいため話
画像:http://www.shimizu-minato.sakura.ne.jp/

『媚(こ)びない、群れない、属さない、そして、やめない、あきらめない』

「あまり群れるのも好きじゃないし、媚びるのはもっと嫌いだし、属するのもどちらかというとあまり好きじゃない。

ということになってくると、おのずと選択肢って狭くなっちゃうんですね、自分で生きていくしかなくなる。

だれもやったことのない、世の中にないものだけを開発して、それを商品化し続けるというのが、私らしさなのかもしれない」

この強烈な言葉は、地を這(は)うようなどん底のなかで生まれた。

子どもの頃から機械いじりが大好きだった竹内さんは、高校卒業後、金型を作る工場に就職。

27歳で独立した。

当時は、いわゆる高度成長の時代。

大手メーカーからひっきりなしに依頼が舞いこみ、経営は順調だった。

だが1980年代後半、日本はかつてない円高の時代を迎えた。

メーカーの多くは生産拠点の海外移転を検討し始めた。

不況知らずと言われた金型業界にも、暗雲が立ちこめた。

竹内さんが、独自開発に踏みきろうと思ったのは、この頃からだ。

もともと、発想力には自信があった。

とくに、多く需要が見込めそうな「射出成型機」の小型化に力を入れようと決めた。

10人以上いた社員の生活も心配だった。

だが、開発に成功さえすれば、じきに解決できるはずだ。

だがこの決断こそ、想像をはるかに超える、いばらの道への入り口だった。

何度試作を繰り返しても思うようにはいかない。

トラブルが続出した。

大手メーカーのように潤沢な開発予算はない。

たえず一緒にいて知恵を絞ってくれる仲間もいない。

手間どるうちに、時代の逆風はさらに強まった。

90年代の不況のあおりで、金型の発注が激減。

今までにない苦境に、仲間の多くは倒産に追いこまれた。

竹内さんの工場もついに赤字に転落。

やむなく給料の値下げを申しいれると、従業員の半数が工場をやめていった。

「開発が成功するまで待ってくれ」そんな説得も、みなを引き戻す力はなかった。

竹内さんは、追いこまれた。

開発は先が見えない。

負債は増え続ける。

夜中に支払いを催促される夢を見て、何度も目が覚めた。

倒産の文字が頭をかすめた。

昼も夜もなく、家族と過ごす時間も犠牲にして、ひたすら開発に打ちこんだ。

納得がいく製品が仕上がったのは、開発を始めて17年目のことだった。

その装置は、従来の20分の1という破格の小ささ、消費電力も20分の1に抑えることができる。

町工場の仲間に見せると、みなその出来に感嘆の声を上げた。

「おれ今、鳥肌が立ってるよ!」その言葉に、竹内さんは大きな力を得た思いがした。

メーカーに持ち込むと、評判は上々。

発売後ほどなくして次々と注文が入り、工場の経営はもち直した。

大手メーカーに納めた「射出成型機」を竹内さんといっしょに見にいった。

17年におよぶ苦労の末、開発に成功した装置が、メーカーの研究施設の中枢(ちゅうすう)で今もその役割をみごとに果たしていた。

「いやー、やっぱり感激しますね、ここまでやっていただくとは…」

自分の子どもの成長を見る父親の目になっていた。

帰りの車のなかで、しきりに涙を拭(ふ)く竹内さんの姿があった。

「独創力こそ、工場の誇り」。

そんな竹内さんの信念を象徴する出来事だった。

引用:『運命を変えた33の言葉』NHK出版新書
NHK「プロフェッショナル」制作班 著