
実はぼく、コント55号の活動を休止したとき、アメリカに行っちゃおうと思ったことがあるんです。
ひとりでなにをしたらいいかわからなくなって、舞台も映画も優れてるアメリカでいちからやり直そうと思って。
それで井原(元日本テレビ第一制作局長)さんのとこに飛んでいって、
「ぼく、アメリカに行きたいんです」って言ったら、
「アメリカから呼ばれてんの?」って聞かれたので、
「いや、呼ばれてないけど、向こうに行ってチャップリンみたいになりたいんです」って言ったの。
そしたら井原さんにこう言われちゃった。
「アメリカって、世界の優れ者を呼んでいる国だから、呼ばれもしないのに行くと苦労しますよ。
欽ちゃん、まだ呼ばれてないんだったら、日本にいて自分でテレビ番組をつくったほうがいい。
どんどんつくったほうがいい。
それが優れてれば、アメリカから呼びにくるから」って。
僕はこれを聞いたとき、よし、アメリカから呼ばれるコメディアンになろうと思って、自分の番組をつくり始めたんです。
番組のセットを日本間にしたのも、そのほうがアメリカ人には珍しいから受けるかなと思って。
引用:小林信彦 著
「萩本欣一 ふたりの笑タイム」集英社
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