武士道とは畳の縁を歩くことである

武士 いいため話
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「武士道とは畳の縁を歩くことである」。

武士道とはいかなるものか?との問いに対し宮本武蔵はこのように答えたという。

畳の縁くらいの幅なら誰でも外さずに100メートルくらいは簡単に歩くことができる。

ところが状況が変わればどうなるか。

標高1000メートルを越える山の岩壁と岩壁を繋ぐ、畳の縁ほどの吊り橋ならそう簡単に歩けない。勿論手すりも何もない。吊り橋の下は激流で、尖った岩が屹立している。落下すれば当然命はない。

一歩踏み外せばすべては終わりである。

普通の人間が冷静さと気迫を持って挑んでも、100メートルを進むことは不可能に近い。

というよりまず歩く決意が簡単に生まれるはずもない。

同じ幅であっても畳の縁と絶壁を繋ぐ吊り橋では全く事情が違うのである。

つまり『武士道』とは「平常心」である。

平たく言えば畳の縁も、岩壁を繋ぐ吊り橋も幅は同じであるにもかかわらず、その上を歩く行為において精神的に大きな違いが生じる。

吊り橋の上も畳の縁と捉え「平常心」をもって歩くことが『武士道の極意』と武蔵は悟ったのである。

人生においていかに恐怖を消し去るかは大きな問題だ。

多くの人々が現実には、ありもしない恐怖のために悩み怯えて精神を消耗させ、マイナス思考に陥っている。

恐怖とは基本的に自分自身が生み出し体感するものである。

外的な有無をいわさぬ圧力、絶対的な恐怖、災害や戦争も存在するが、概ね自身の心をコントロールすることで恐怖は払拭される。

つまり平常心を持つことである。

いかに絶望的で不可能な場面でも平常心を保ち、穏やかな気持ちを持てばベスト・コンディショニングで、物事に対し真摯に対応できる。

これこそ大器の持ち主のあるべき姿である。

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