「答」の種類

風呂 いいため話
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多くの「答」と称されるものは、インターネットを通して、簡単に手に入ります。

しかし、その安直さは、私たちの求める方向なのでしょうか。

確かに、以前より、ずっとずっと便利に「答」を得られるようになりました。

このことが大きな進歩であるという点には、全く異論はありません。

こういう私も、資料を探すときなどは、インターネットの検索サイトに頼っています。

かつての、図書館へ出かけ、アイウエオ順の書名カードをひかなければ、求める本に出会えなかった時代には、絶対に戻りたくありません。

しかし、情報の入手が容易になることで、私たちは大切なことを失っています。

現実生活において中心的課題をなすものは、インターネットに「答」を頼ることとは、方向が逆です。

私たちは、「答」が多様にある、あるいは、そもそも「答」がないかもしれない世界を、一度出した自分の「答」を時には変更しながら、生きていかなくてはならないのです。

地球全体が抱える問題(温暖化、人口問題、南北問題等々)から個々人にとっての問題に至るまで、「イエス」、「ノー」という形で単純化すること、あるいは、その風潮に乗ってしまうことは、考えることを止めてしまうことを意味するのではないか、と思えます。

現在、必要な「答」と、安易に得られる「答」との乖離(かいり)が起きていると言えましょう。

私たちは、思考の幅が狭められ、少ない選択肢の中からひとつを選ぶという体験を、もうすでにしてしまっているからです。

現状を打開するためには、一つしかない「答」を探すこと、または、安易に「答」とすることではなく、自分で「頭」、「手」、「足」、あるいは、「感覚器官」を使い、それらの感覚を自覚しながら、納得できる自分の「答」を求めていく過程が重要だと思います。

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博文館新社