
私も、酒はふんいきで飲むほうだ。
うれしいときや、憂いを払いたくなるとき、と条件はいろいろだが、好きじゃないけど飲みたくなるのである。
酒に飲まれちゃうようなお酒飲みは嫌いだし、軽べつする。
芸者を呼んで、彼女らが踊りや歌で座敷をつとめているのに、ほどよく注目してやれない人も私の友人ではない。
遊びにいくのはモテにいくことだと私は信じている。
縄のれんや、煮干しをかじって立ち飲みする酒屋の店さきにいくのだって、どこかしらモテるためにいくのである。
「ああ、よくモテたな。今夜も楽しかった」という満足があれば、仕事にもまた精が出るというものである。
私の人生は仕事で明け暮れはしたが、遊ぶのもまことによく遊んでいる。
芸者の踊りや歌などに対して、私はなるべくきちんとした態度で注目する。
彼女たちはそれを心から喜ぶのである。
これは、私のささやかな人生哲学たる、相手の身になることの初歩なのだ。
金を出すのはオレだというので相手を無視したところで、そこに何の楽しさがあるだろうか。
遊びというのは、大切なものである。
遊びのへたな人間は好かれないし、商売もできない。
またとない時間を、その場にいる人たちとみんなで、より楽しく、よりほがらかに、共感の笑いとともに過ごさずして、何の遊びだろう。
私はずっとそう思って遊びをしてきた。
『やりたいことをやれ』PHP
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