
一日を振り返ったときに、「がんばっているのに、報われないな」と感じる日があるかもしれません。
しかし、それがふつうです。すべてのことは「労して功なし」なのです。何をするときにもです。
もちろん、「労して功なし」だから、いいかげんに手を抜くということではありません。
そもそも、何も求めないということです。
見返りや感謝を求めるのではなく、ただその瞬間、その瞬間で、自分のやるべきことだけを無心にやる。それに集中するということです。
その気持ちこそが、仏教や禅の考え方の前提です。
坐禅も修行も、やっていることは「自分をはがしていく」ことです。
言葉にすると簡単ですが、並大抵のことではありません。
はがしてもはがしても、同時にどんどん新しく、余分なものがついてくるからです。
余分なもの、つまり「功」を求める気持ちは、毎日毎日、次から次へとついてきます。
それをはがして、はがして、はがして、はがしてと繰り返すのです。
すると結局、玉ねぎの皮をむくように、最後は何もないところに行き着く。
その「あ、何もなかった」というところを目指すのが、坐禅であり、修行なのです。
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こころが調う 朝・昼・夜の習慣
平井正修 著
ディスカヴァー
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