
「やりなさい」「やらなければいけないことになっています」
そう言われたら「やろう」と思っていた気持ちも、萎んでしまうし、やりたくなくなってしまう。
それを、やれ「義務だ」「社則だ」「上司命令だ」「ルールだ」と、力を用いて無理にやらせようとするから、ますます心がついてこなくなる。
そんな「心無い」やらされ状態では、美味しいお弁当を作りたいとか、お客さんに喜んでもらえる接客をしたいとか、そんな気持ちも沸いてはこないと思う。
人に強制する、やらせる、罰する、責める、争うなど、そういうことを本当は望まないのが「人」だと思う。
先日、おふくろさん弁当を視察に訪れた人が、お弁当の配達などにも同行して、「よくあんな細かいオペレーションをこなしていますね」と驚いていた。
もう少し詳しく聞いてみると、一緒に配達に行ったスタッフが、配達先の高齢者さんに割りばしを割ってあげていたりとか、「漬物をいれないでほしい」と言った要望にも応えていたり、その他にも、お客さん一人一人に、ずいぶんと細かい対応をしていることに驚いたようだった。
その同乗したスタッフに限らず、配達の一人一人、店頭で接客している一人一人、電話受け付け担当の一人一人が、「そうしたくて」細かいオペレーションも、各自が自分で考えてやっているのだ。
(中略)
これは「給料をもらっているから」でやれることではないと思う。
もっと言えば、「雇われている」だけの人では出来ないことだと思う。
お金で「雇われている」だけの人だったら「仕事が増えた」「余計な事までやらされる」と負担が増えたとなるだけだと思う。
そのスタッフが「そうしたくなる」のは、「やらされていない」からだと思う。
自分の家の事を、自分のこととしてやっている。そういうことではないだろうか?
自分の心を他の仲間から大切にしてもらって、みんなから愛されて満足して、大好きな職場になれば、その職場も会社も、もっともっと繁盛させたい、お客さんにも愛してもらいたいと思うのは、自然な流れのように感じる。
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幸せをはこぶ会社 おふくろさん弁当:本当にあった! こんな会社~規則も命令も上司も責任もない!
アズワン・ネットワーク
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