
デジタル革命の波に飲み込まれたときに確実に起きることは何だろうか?
結論から言うと、破壊的イノベーションというのは予想ができないことが起こるから破壊的なイノベーションなのである。
だから確実なことは何もないというのが正解だ。
ただ、過去のデジタル革命第一期、第二期の「歴史から学ぶ」とすれば、いくつかほぼ「確実なこと」が浮かび上がる。
【ビジネスサイクルの短命化】
これは、多かれ少なかれ避けられない。
少なくともイノベーションの大波が引くまでは、製品やサービスはもちろんビジネスモデルレベルでも、次から次へと新たなものが登場しては、一部が残り、大半が淘汰される活発な新陳代謝が繰り返される。
だから本当の脅威となる競争相手も、どこから現れるかわからない。
ストレートに言えば、事業ポートフォリオ、機能ポートフォリオの入れ替えを常態的かつ臨機応変に行えない企業は、非常にヤバい状況に追い込まれる。
これが日本の「総合」電気メーカーに起きた悲劇である。
【製品・サービス・機能の標準化、モジュラー化】
デジタル化が進むということは、当該領域は標準化、モジュラー化が飛躍的に進みやすくなるということである。
日本の伝統的な優良「モノづくり」企業は、ほとんどの場合、アナログ的な作り込み、すり合わせが得意である。
すり合わせ、すなわちAとBを何とか折り合いをつけて足し算するのは得意だが、AかBかどちらかを鮮烈に「捨てる」引き算はとにかく苦手。
すると、どうしても得意技である作り込みを過剰にやってしまい、桁違いに安いコストで標準モジュールを展開するプレイヤーに太刀打ちできなくなる罠に陥りがちだ。
製造業に限らず、「フィンテック」「ブロックチェーン」の波をかぶる金融業を含め、日本の歴史ある企業の99%は放っておくとこの罠に陥る。
「日本的経営」とは、同質性、連続性、すり合わせ、ボトムアップ、コンセンサスの経営、「あれも、これも」の経営だからだ。
【小さいこと、若いこと、の優位性の向上】
大きな変化、それも不連続で破壊的な変化が起きるとき、既存事業が今まで積み上げてきた経営「資産」は、あっという間にレガシーコストという経営「負債」に変わってしまうことがある。
革命的な変化の時代においては、古くて大きいということは、巨大なレガシーコストを抱え込むリスク、そして環境変化のスピードについていけないリスクに対峙(たいじ)することを意味する。
例えば、いわゆるフィンテックテクノロジーであるブロックチェーンの発展によって、既存の銀行が持っている巨大なシステム、支店網、それらを支える多くの人員が不要になれば、こうした「資産」は一気に巨大な「負債」に転じる可能性がある。
要は、小さいこと、若いことの優位性が大幅に高まるのだ。
『AI経営で会社は甦る』文藝春秋
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