読書とは過去の人間の心に触れること

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読書 いいため話
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読書とは、先述したように知識を得るためのものではなく、過去の人間の心に触れることを言っている。

だから、いくら難解であっても、理解できなくともかまわないのだ。

過去の人間が本に託した「真心」に触れ、感ずればそれでいい。

そのためには、知識を減らすために読むというくらいの気概が必要なのだ。

本物の知識とは、本と向き合い過去の人間の魂と感応した結果として、自分の中に溶け込んで来るものである。

知恵と成るものと言えよう。

だから、積極的に知識を得ようとして本を開くのは読書ではない。

それどころか、知識を得ることばかりに拘泥していては、本に込められた「祈り」を感ずることが出来なくなってしまう。

真に必要なのは、過去の人間の「祈り」を受け止めることである。

「祈り」を受け取るには、知識は捨てなければならないのだ。

「祈り」の精神だけを見つめる。

そうしなければ、自己の心と「祈り」が感応することはない。

先人の「祈り」の響きを聴く。耳を澄ませて聴くのだ。

その時、知識ほど不要で邪魔なものはないということに気付くだろう。

何かを捨てなければ、別の何かは得られない。

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「憧れ」の思想

執行 草舟 著

PHP研究所