
私は会社に行くと必ず「ご苦労さん」とか「ありがとう」ってみんなに言うの。
それでお茶を出してくれたら、また「ありがとう」なんだよ。
社長にお茶を出すのは当たり前じゃないんだよ。
それと同じで、旦那さんが給料を持って帰ってきてくれて、それが当たり前になったら、人生が急に味気ないものになっちゃうよね。
社員だから働くのが当たり前じゃなくて、働いてもらっているんだから、「ありがとう」なんだよね。
この世の中には、当たり前のものは何もないんです。
あるはずがないことが起きたときに“有難い”っていうの。
だから、ありがとうとは、あるはずのないことなんだよね。
私は米一粒もつくったことないけど、それでも毎日ご飯を食べることができるの。
それは、誰かが私の代わりに米をつくってくれるおかげなんです。
私は漁師じゃないから魚もとれないけど、それでも魚を食べることができるのは、ありがたいことだよね。
それを、どっかで当たり前だって言っちゃうんだよな。
“あたりまえ”のことを“ありがとう”に変えたら、人生に花が咲くよね。
当たり前のことに感謝しはじめると、人はもっとしあわせを実感できるようになります。
しあわせって、結局、当たり前のことにどれだけ喜べるかなんだよね。
私は毎日、朝、昼、晩と三度ご飯が食べられることがうれしいんです。
たとえそれが、どんなおかずであってもうれしいんです。
おいしい料理を食べることができたからうれしいとか、高級レストランで食べることができたからうれしいということではありません。
“しわせおんち”な人って、たとえば100万本のバラの花を見ないとキレイだって思えないの。
でもそんなのってめったに見ないよね。
それよりしあわせって、道端に咲いているタンポポを見てもきれいだなって思えることなんだと思うの。
どんな小さな花を見てもきれいだと思えると、毎日がしあわせになってくるんです。
だから大切なことは、自分のしあわせを感じるレーダーの感度を、常に上げていかないとダメなんだってことなの。
感度が鈍ってくると、目の前にあるしあわせに気づけなくなってしまうよね。
それよりレーダーの感度を上げていけば、自分のまわりにしあわせがいっぱいあることに気づけるんです。
しあわせってモノじゃないの。
感じることだから、常に自分のアンテナをしっかり張ってないと感度が鈍るんです。
自分のしあわせを感じるアンテナはちゃんと立っているだろうか。
レーダーの感度は上がっているだろうかって考えてみるといいよね。
そうすると「ここにも!」「また、ここにも!」って目の前のしあわせに気づけるようになりますよ。
『変な人の書いた世の中のしくみ』サンマーク文庫
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