
ときおり、人から「本を読みたいんですが、おすすめ本はありますか」と聞かれて、「何でもいいから、目の前にある本を読んだらどうですか」などと無愛想に答えてしまうことがある。
どの本がいいでしょうという質問には、自分がすべき選択を他人にゆだねる依存性、他人が歩いて切り開いた道を自分はあとから車で行こうとするような抜け目なさ、ズルさが感じられてイヤなのである。
古い人間なのだろうが、読書に効率をもちこむのは私の趣味ではない。
一冊の良書にめぐりあるためには、つまらない九十九冊の本を読まなくてはならないと思うし、それをけっしてムダだとも思わない。
いい本を知らない?
何かおもしろいことない?
こういう質問を他人に向けて安易に発する人は自分が何かしようとするときに、その行為の意味や価値、損得や効果の大小を先回りして考える傾向が強いのではないか。
このような思考癖のある人は、効率重視で無益なものはすっ飛ばし、自分にとって有益なものだけに最短距離で近づきたい、そういう合理主義の権化みたいなところもある。
だが、だからこそ、そういう人はなかなか行動を起こせないし、結果、大事なこともなせないように思える。
何事かをなしたかったら、意味や損得などはいったん脇にどけて、とりあえず眼前のことに集中することが肝要である。
何でもいい。
どれほどささいでちっぽけなことであっても、目の前にある「すべきこと」を一生懸命やる。
それがすべてのスタートになるのだ。
机の拭き掃除をする、花瓶の水を代える。
そんな雑用としか思えない小さな行為に何の意味があるのか、どんな価値があるのかなどとは考えず…たとえイヤイヤながらであっても…そのとき、その場で自分がなすべきこと、果たすべき役割を果たす。
そのことが目標に近づく思いのほか大きな一歩となる。
また、あなたの周りの暗い景色や悪しき環境を変え、居心地の悪さ、生きにくさを改善していく有効なきっかけともなるのである。
《雑用をきちんとこなせない人に、大事はなせない。損得はいったん忘れて、そのとき、その場の、やるべきことに一生懸命集中する。》
『その弱みこそ、あなたの強さである。』PHP
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