
これまで、天才と言われてきた人たちはどうして天才だったのか。
それを考えてみたんです。
天才というのは、生まれ持った天性のなにかがあるということではないと思います。
環境によって、天才にならざるをえなかった人たちなんです。
ぼくたちがいま、それぞれに持っているアイディア、哲学、運動神経・・・自分を形づくるもののほとんどは、環境によって支配されています。
なぜあなたがそのように考えるか、それはあなたが、そのような考えを持つのに合った環境の中にいるからです。
鳥にはどうして羽があるのか。
それは、鳥は飛ばなきゃいけなかったから。
ある種の動物が、どうして海から陸に上がってきたか。
それは、陸に上がらなきゃいけなくなってしまったから。
そこで生き延びなきゃいけなくなってしまったから、手足みたいなのをにょきにょき生やしてきた。
必要に迫られなかった進化なんてないという話です。
天才の話もこれと同じ。
極端な才能も、極端な環境によってもたらされたものなんです。
環境が先。
そこに帳尻を合わせるように、才能が出てくる。
天才になる必要がある環境に人を追い込めば、その人は天才になるんです。
生物には生存本能があります。
生き延びようとするプログラムをそれぞれの中に持っていると思うんです。
だから、たとえばぼくがいきなり、砂漠の中央に放り出されたら、普通なら1週間ぐらいで死んでもおかしくないんだけど、1週間経ったあたりから、ちょっとの水でも活動できるように、進化してくるんじゃないですかね。
体がだんだん適応していって。
これがつまり、才能の始まりです。
(「バカとつき合うな」堀江貴文 著 / 西野亮廣 著 / 徳間書店より)
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