斎藤一人「私も、こういう人間になりたい」

斎藤一人

本気で人を導こうと思ったら、相手を変えようとするんじゃなくて、まず自分が幸せになることだよ。

自分が幸せになって、自分が“光”になればいい。

“光”とはなんですか、と言ったとき、明るさではないんだよ。

その人がどう生きているか、っていう「生き方」なんだよ。

「自分も、こういうふうに生きたい」

「私も、こういう人間になりたい」

「こんなふうに考えたい」

そういうふうに思われるような生き方が“光”なんだよ。

たとえば、同じ青森を旅するのでもさ、旅が違うじゃない。

目的地を竜飛崎(たっぴざき)にしたとしても、車で行く人もいる、タクシーを使っていく人もいる、自転車で行くことだってできるんだよな。

それから、ひとり旅で竜飛に向かう人もいるよね。

オレたちみたいに仲間とワイワイ行く旅もある。

そこでどんな人と巡り会うか。

どんな瞬間、どんな瞬間に、感動するのか。

みんな、ひとりひとり、違うんだよ。

人生もそれと同じだよ。

ひとりひとり旅路が違うんだよ。

違うというか、それぞれ、自分が主役なんだよね。

自分がもっと幸せに豊かになるような、旅のプランを立てて旅に出る。

そこで、いろんな人と知り会って、いろんな経験をし、自分が何者であるか、ということに気づいたり、いろいろ学ぶんだよ。

そうすると、夢もわいてくる。

希望もわいてくる。

人生が輝いてくるんだよ。

人は人生の旅路を歩いて「経験」という宝を得るんだよ。

宝というのは、金銀財宝のことではないんだよ。

何を経験し、そこから何を学ぶのか。

わかるかい?

オレがお弟子さんたちに教えたこと、本やYouTubeなんかで言っていることというのは、宝探しの地図みたいなものの提供なんだよ。

大ざっぱに「ここに宝があるよ」って示した地図を、みんなに「これ、どうぞ」って。

よかったら、使ってみてって。

みんなは、それ持って旅に出る。

それぞれ、自分の歩き方で、宝探しの旅を楽しむ。

宝を見つけるまでの旅路が、経験が、宝なの。

だから、たとえば旅の途中で落ち込んでいる人と出会うことがある。

「そのとき、どうしたらいいんですか?」

って、ひとつの答えを求めるけどね。

「これしか、答えがない」

という思い込みが、自分自身を苦しめるんだよ。

本当は場面によって違うんだよな。

落ち込んだ人に、何か励ましの言葉をかけたほうがいいときもある。

見守ってあげたほうがいい場合もある。

ただ見守るだけでなく、宝島の地図を渡したほうがいいときもあるんだよ。

どんなとき、どんな手が正解なのかは、経験しながら覚えていくもんなの。

大丈夫、心配いらないよ。

逆上がりの練習と同じで、最初から上手にできることはないけどね。

何回も経験しているうちに、うまくなっていくよ。

経験をするために、オレたち、生まれてきているんだから経験するの。

その生きざまが、やがて必ず周りを照らす“光”になるんだよ。

この“光”を周りの人たちに投げかけると、相手は変わる。

自分や自分の人生を明るく捉えるようになって、私は“わたしの花”を咲かせようって、自分の意思で歩き出すんだよ。

相手を照らすんじゃないんだよね。

ステキな捉え方や、ステキな生き方をしていると、それを見ていた人は同調してステキになってくるんだよ。

だから、相手を変えようとする努力とかは必要ないんだよ。

自分はステキの見本になっていればいい、それだけなの。

『斎藤一人 愛語』マキノ出版