
これまで私たちが生きてきた時代、社会というのは、原則として「近代西洋思想」をベースとして形作られていました。
私たちのライフスタイルはもちろん、働き方も、会社のあり方も、法律、政治、経済の様式まで、あらゆるものが近代西洋思想、近代西洋文明に則って作られてきました。
たとえば「企業は利益を追求する存在であり、自由な市場が保証されることによって、経済は健全に機能する」という考え方があるでしょう。
そうした考え方の下、世界中の企業が活動し、その一員として私たちは働き、そういった経済環境のなかでモノを買い、日々の生活を成り立たせてきました。
ごく当たり前の感覚として、商品を買うときは「少しでも安い方」を選びますし、企業はそんな消費者のニーズに応えるために「少しでも安く、効率よく生産しよう」と躍起になります。
すると当然、効率よく生産することに長けた人材、そういうことを実現してくれる優秀者を採用しようとします。
これらはすべて、私たちにとって当たり前のことばかりです。
しかし、そんなパラダイムが古今東西ずっと続いてきたかと言えば、そんなことはありません。
実際には150年から200年ほど前に、中世ヨーロッパ社会が終焉を迎え、産業革命が起こり、近代という時代が始まりました。
そんな近代西洋文明をベースとしたパラダイムが、今現在、広く世界を覆っています。
私たちの「当たり前」の根源はそこにあるのです。
しかし今、時代は再び大きな転換期を迎えています。
言い換えるなら、近代西洋文明をベースとしたパラダイムが、あちらこちらで破綻し始めているのです。
これもまた、今起こっている「変化の正体」の一つです。
これまで全地球規模で世界をリードしてきた近代西洋文明をベースとしたパラダイム。
そんなパラダイムが揺らぎ始めた今日、揺り戻しのように世界中で見直されているのが東洋思想です。
今、世の中では「近代西洋思想的な発想」から「東洋思想的な発想」へとさまざまな側面で転換が起こっています。
行きすぎた資本主義が格差社会を増長し、世界中で問題になっているのもその一つの表れです。
物質的充足より、心の充足を求める人が増え、その延長でマインドフルネスや禅仏教が世界的に流行しているのもその一つ。
あるいは「所有よりもシェア」という意識が広がり、シェアビジネスが増えているのも、東洋思想的アプローチの一側面と捉えられます。
このように今さまざまな側面で東洋思想への揺り戻しが起こっているのです。
もちろん近代西洋文明のすべてが悪いというわけではなく、あくまでも「西洋と東洋の知の融合」が求められ、そうした動きが世界中で起こっているということです。
ここで「東洋思想とはどのようなものか」をきちんと定義し、解説しておきましょう。
私の言う東洋思想とは「儒教、仏教、道教、禅仏教、神道」の五つの思想を指しています。
日本に八世紀以上存在し、精神性や風土に根づき、息づくことで、私たち日本人の暮らしの根源となっている「知的資源」と呼べるものです。
これら東洋思想に共通する特性を、近代西洋思想と対比すると、両者がいかに「相補い合う関係」にあるのかがはっきりと見えてきます。
西洋は「外側にある(すなわち、誰もが見ることができる)真理に迫っていく」という真理探究方式を採る一方、東洋では「自分の中にある仏性、神的性に迫っていく」という真理探究の方式を採ります。
西洋思想では、どちらかと言えば「外側」に関心の中心が置かれ、「誰でも理解できること」「普遍性」を重視し、モジュール化に適しています。
反対に、東洋思想では「自分の心の中」に関心が向けられます。
自己の内なる仏や神に気づくこと、自己の仏性、神的に目覚めることを重視します。
それだけ精神性に富んでいるということです。
西洋…外側にある対象に向かう
東洋…内側にある対象に向かう
このように、まさに正反対だからこそ相補の関係に成り得るのです。
180年前の幕末の思想家佐久間象山は「東洋道徳、西洋芸(技術)」という言葉で、両者を対比し、その特性の違いを見事に表現しました。
東洋は『精神』領域に長けているので、そこに資する知見を提供すべきであり、西洋は『技術』において一日の長がある。
佐久間象山は「両者の得意分野を融合して使うべきだ」と言っているのです。
まさに「西洋と東洋の知の融合」です。
『なぜ今、世界のビジネスリーダーは東洋思想を学ぶのか』文響社
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