
人生は楽観的に生きたいものである。
そのほうがやっぱり楽しいからだ。
ところで、楽観的と言われる人、思われている人が、芯から楽観的、楽天的なのかというと必ずしもそうではないのである。
自分は物事を悲観的に考えてばかりいるから、あんなふうになりたいと憧れる人は多いが、そのほとんどの人は肝腎なところが見えていない。
楽観的・楽天的な人にも二種類あるのだ。
中には悲観的な人以上に、物事を悲観的に考える人もいるのである。
何かをするとき、「うまくいかないかもしれない」と考えれば、なかなか行動に移せないのが普通である。
自分が悲観的と思っている人のほとんどは、そこで躊躇していることだろう。
しかし、「うまくいかないかもしれない。でも、それでもかまわない」と思えれば行動に移せる。
これはハナから物事が「うまくいく」「何とかなる」と考えているような楽観性とは違うのである。
こういう人は、実はひじょうに慎重であって、何かをやるときには、いつも最悪の事態になることを考えているのである。
弱気と言えば、かなり弱気なのである。
けれども、たとえばスポーツ選手には、こういう繊細さが必要とされるだろう。
頭まで筋肉でできているようなイケイケ気質の選手は、結局一流になれない。
あるゴルフ記者が、「トッププロほど驚くほど臆病なんですよ」と言うのを聞いたことがある。
そういうものだろう。
いつも最悪の事態を考えるような、悲観的な見方を持つことは、その人の個性というものかもしれない。
その慎重さは悪くない。
しかし、問題はそこから先のことだ。
それは、最悪の事態が起こることを「覚悟」できるかどうかである。
「そういう結果になってもいい。しかたない」
そう思えるかどうかが鍵なのである。
これこそが脳天気ではない楽観というものであり、後悔しない考え方というものなのだ。
『こころがホッとする考え方』
すがのたいぞう 著
すばる舎
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