
あなたにもし、完璧主義的なところがあったとしても、他人に自分と同じように完璧であることを期待してはいけない。
なぜなら、人はその不完全さに救われることもあるからである。
むしろ、その不完全さをバラエティだと思って楽しむくらいの寛容さが必要である。
だから、あなたがプロの説教師でないなら、説教はしないことだ。
あなたが専門の教師でないなら、しつこく容赦ない教え方はしないことだ。
確かに教育は重要である。
しかし、だからこそ教育は、技術と知識と経験の十分な人間のみが行うべきなのだ。
それ以外の人間が、狭い知識や経験の中から他人にとやかく意見したところで、つまらない衝突を生むだけである。
ある人がこんなことを言った。
「もし天国というものがあったとしても、僕は死んでも天国にだけは行きたくないね」
私はそれを聞いていて「へぇっ?」と思い、その理由を聞いた。
「それはね、何でもかんでも完璧なところに住んだって、少しも面白くないからさ」
その人はこともなげに答えた。
この人がアメリカでも著名な実業家であり、しかも心の平安をたっぷり維持しているというのは、決して偶然ではないと思う。
彼が誰かを教化したという話しは聞いたこともない。きちんと自分自身である人間には、そんなことは必要ないのだ。
人は誰しも、長所と欠点を併せ持っているものである。
欠点を改めることが、長所をも殺すことになる場合は多い。
長所も欠点もないような人間とつき合って、いったい何が楽しいというのだ。
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「成功の哲学」
ナポレオン・ヒル 著
きこ書房より
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