
『黄金律』の元になるものが、イエス・キリストの時代からすでにあったことはご存知だろうか。
イエスは、『黄金律』を私たちが知っている形で教えている。
さらに歴史をさかのぼると、いくつか似たような例がある。
「己の欲するところは人にもこれを施せ」(新約聖書マタイ伝七章一二節)
「彼は、自分自身にとって望ましいと思う善を他の人々のために求めた」(紀元前六〇〇年ごろのエジプトの碑文)
「己の欲せざるところ、人に施すことなかれ」(孔子)
「われわれは、世間が自分に対してやってほしいと望むように、世間に対して振る舞わなければならない」(アリストテレス)
『黄金律』は数千年前から、人間の行動の主たる規範として口にされていたものだということが、おわかりいただけよう。
不幸なことに、世界はこの規範を言葉として覚えているが、その精神を見失ったとしか思えないような行動があまりにも多すぎる。
次のように言い換えてみると、自分にも他人にも役立つような行動と関連づけやすいと思う。
「『黄金律』とは、相手と立場が入れ替わったときに、自分がしてほしいと思うことを、相手に対して行うべきだ、という意味である」
相手の要求を相手の立場に立って判断し、相手の目を通して世界を見る、ということがこの中に含まれているからである。
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「成功哲学」
ナポレオン・ヒル 著
きこ書房より
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