安岡 正篤 「活眼 活学」

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歴史 いいため話
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藤原基家という鎌倉時代の優れた歌人がある。

この藤原基家のあまたの名作の中に、「神こそは野をも山をも作りおけ人に誠の道をふめとて」という一首がある。

神こそは野をも山をも作ったものである。

なぜ作ったかといえば、人に誠の道をふめとて。

好い歌だ。

この天地という根元に帰って天地開闢(かいびゃく・天地のはじまり)の心構えを「機前(きぜん)を以て心と為す」という。

機前というのは、ちょうど一日で言うならば、日が出て鶏も鳴き出す、人間も起き出す。

特に人間世界のいろいろな営みが始まる。

こういう働きを機という。

その前、だからつまり暁(あかつき)である、早朝である。

一年で言うならば「神代のことも思はるる」という元旦である。

人間で言うなら幼児。

地球で言うならば混沌(こんとん)・太初(たいしょ)である。

ちょうど人間で言うと、その一日の活動が夜明けから始まる。

夜明けは実に静寂で、光明で、清浄である。

明るく、清く、静けく、これが自然、即ち一日の始まり、すべて太初、大いなる初の心だ。

神道というものは、この太初、この静寂、清浄・光明を本体とする。

伊勢神道はこれを本領とするもので、その機前を以て心と為す。

従がって大いなる元・始め・大元・太本・太初を尚(たっと)び、それこそいろいろの汚れ、

俗気を斥(しりぞ)けて、神気を嘗(な)め、正直・清浄を行じてゆく。

一言でいうならば、これが日本神道の眼目・骨髄である。

文明というものは、これを失ってはいけない。

これが文明と人間の救われる神髄。

世が明けてがたがたいろいろ活動が開始するにつれて、世の中は汚れる、騒がしくなる。

疲れる、堕落する。

言い換えれば大元・大本・太初に帰れば、もっと光明であり、静寂であり、正直である。

人間はやっぱり常に自然に帰らなければならん。

自然の真理、それが人間に教えてくれる摂理というものを見失ってはいけない。

引用:活眼 活学
安岡 正篤 著
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