田中真澄 「100歳まで働く時代がやってきた」

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成功哲学 いいため話
画像:http://www.gatag.net/

明治維新で、多くの武士たちは時代に取り残されていきました。

その中にあって、福沢諭吉らの先覚者は時代の先を読み、自らの力で人生を大きく変えていきました。

こうした大きな変革の時代を見事に乗り切っていった人たちをよく観察してみると、必ず先見性の豊かな人物に師事し、新しい行動と考え方の習慣を身につけています。

自己変革に努力している人が師事する人物をメンターと称しますが、明治維新前後の時期、心ある人たちがメンターとして選んだのが中浜万次郎でした。

誰もが知っているように、中浜万次郎が幕末期にアメリカから帰国してくれたことで、日本はどれだけ助かったか計り知れません。

当時の日本で、アメリカで正式な教育を受け、まともに英語を話せ、読み書きもでき、

しかも捕鯨船という大型船の乗組員として一人前の操舵の技量を身に付けていた人物は、彼ぐらいしかいなかったのです。

したがって、ペリーが来日した時、アメリカ側と円滑な交渉を行うことができたのも、また勝海舟が船長として咸臨丸(かんりんまる)でアメリカまで無事に航行できたのも、そのすべての背後に彼の支えがあったのです。

14歳の時、漁船で遭難し、アメリカの捕鯨船に救われて、船長ホイットフィールドに可愛がられた万次郎は、

その頭の良さと機敏さと人柄が買われ、船長の養子となってアメリカ東海岸のマサチューセッツ州フェアヘーブンで、

小学校に通い、飛び級で進学し、最終的には専門学校で学ぶ機会に恵まれたのです。

万次郎が学んだのは、英語・数学・測量・航海術・造船技術などの学問で、首席で卒業しました。

修学後の19歳の時、捕鯨船に乗る道を選びました。

それからわずか2年後の21歳の時、万次郎は船員たちの投票で一等航海士・副船長となりました。

この一事だけを見ても、彼がいかに優秀な人物で、リーダーとしても人々に慕われたかわかります。

都合3年間、捕鯨船で世界の海を航海し、多くの国々に立ち寄り、当時の日本人としては初めてと思われる貴重な体験を次々と積み重ねていきました。

23歳の時、日本に帰ることを決意してからは、帰国の資金を得るためにゴールドラッシュで沸くカリフォルニアの金鉱で3ヶ月働き、600ドルを稼ぎ、1851(嘉永4)年、帰国の途に就きました。

当時の日本はまだ鎖国状態にあったため本土に入国できず、琉球に上陸しました。

その後、薩摩藩に引き取られました。

開明派の藩主・島津斉彬は万次郎を厚遇し、自らも西洋事情を聴き出し、その航海術や造船術を藩士や船大工に教えさせました。

その後、坂本龍馬も万次郎の情報をいち早く知る機会に恵まれました。

龍馬の民主主義的な発想は、この万次郎の情報からヒントを得たに違いありません。

その後、土佐藩の武士となり、藩校の教授に任命されました。

その時の教え子の中に、後藤象二郎や岩崎弥太郎がいました。

幕末から明治へと大きく変革していく中で、勝海舟や福沢諭吉のように大活躍した人物の大半が、

直接的にも間接的にも、万次郎の影響を受けて自己変革を遂げ、時代のリーダーとしての足跡を残し得たのです。

これからもわかるように、ひとりのメンターの存在に早く気付き、その人の持つ情報を伝授してもらえるかどうかで、その後の人生は大きく変わっていくのです。

今日の日本は、明治維新と同じくらいの変革期です。

人生100年の時代が目の前にある時、従来の人生観にこだわっていては、一歩も先に進むことはできません。

人生100歳時代の到来の変革期の現在、幕末期の万次郎のように新しい時代を乗り切っていく先見性に富んだ人物が、私たちの周りに必ずいるはずです。

その人が見つかり、気に入った人ならば、思い切って教えを乞う行動に出るのです。

そういう人は自分を慕ってくれる人を拒まず、むしろその積極性を歓迎してくれます。

引用:100歳まで働く時代がやってきた
田中 真澄 著
ぱるす出版