
水野南北先生いわく、
「金銀を他に出すときは、心中にこれを拝し、また来(きた)り給(たま)うことを願う。
また順(めぐ)来るときは明君の入り給うごとく心中にこれを拝し、なお長くいますことを願う」。
自分の行動や人の仕草を思い浮かべると、「あっ!」と気づくことがあります。
たとえば私の場合、お金が入って来てくださったときは、必ず両手で額のところまでいただき、「ありがとうございます」と申しますが、お支払などをするときはどうでしょう。
「なんでこんな高いねん!」とか、「またエライ出費や!」などと、つい怨み言ばかり吐き出して、お金を送り出してしまいます。
しかし、お金が出てくださる代わりに、何かを得ているわけです。
にもかかわらず、とかく我々は、お金がなくなることに対して罵詈雑言(ばりぞうごん)を吐いてしまいます。
これはいけません。
お金は、お出しするときが肝心です。
「行ってらっしゃいませ。
ありがとうございます。
どうか一刻も早くお帰りくださいませ。
できればお連れもいっぱい連れて、お戻りくださいませ」(笑)。
そうお札とお願いを心の中で申し上げ、支払するのです。
お金とは、実はお見送りするときにこそ、感謝が必要なのです。
一方、南北先生はこうも述べられています。
「それ我を敬する方へは行き安く居やすし」と。
みなさんも、自分を本当に愛してくれる人のところこそ、安息地なのではありませんか。
たとえば、訪問したお宅で、奥様をはじめ、家族の方々から心からのおもてなしをいただいたなら、ぜひまたあのお家へうかがいたいという気持ちになるものです。
しかし、すげなく冷たい扱いを受けたなら、二度と足を向ける気にならないでしょう。
これは人だけではありません。
心というものは、物やお金にまで響きます。
打てば響く。
語れば伝わる。
普段からお金を尊び、敬っていれば、必ず通じるものなのです。
また、お金にずっと居ていただきたいと思うなら、常々お金の徳を敬い、一円たりとも粗末に使ってはいけません。
「死に金」を使うことも、お金にたいして失礼になります。
役に立つお金の使いかたをしてこそ、お金にも悦(よろこ)んでいただけます。
そして、「財はいかに集めるかということより、いかに散ずるかということのほうが大切なのだ」ということです。
お金が悦んでくださるような用い方を、ぜひ、みなさんも考えてみてください。
“金銭は、「いかに集めるか」より、「いかに使うか」である(感謝の心でお金をお見送りする)”
引用:岡本彰夫 著
『神様が持たせてくれた弁当箱』幻冬舎
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