
人生を長いスパンでとらえると、好調のリズムにあるときと不調のリズムにあるときがあります。
私は書斎の人間ですから、好調、不調といってもリズムの振幅はそれほどではありませんが、政治や経済の世界に生きる人は、相当の揺れの幅があるでしょう。
好調のリズムにあるときは問題はありません。
その波に乗っていけばいいのです。
では、不調のリズムに陥ったときはどうすればいいか。
まったく不当に社長の座を追われたという人に会ったことがあります。
話題はすぐに社長の座を追われたことになり、その人はいかに理不尽ないきさつでそうなったかを綿々と述べます。
私はなんだか鬱陶(うっとう)しい気分になってしまいました。
あとで聞くと、その人は口を開けばその話ばかりなのだそうです。
その人には社長の座を追われたことは忘れない鮮明な記憶なのでしょう。
しかし、その話を聞かされる側は、そういわれればそういうこともあったかなという程度の記憶しかないものなのです。
好調のリズムに乗っているときはよく目立ちます。
しかし、不調のリズムに陥っているときは、まわりはその人が不調のリズムに陥っていることさえ気づかない場合がしばしばです。
人間の他人に対する関心とはそのようなものです。
その人は決して復活することはないだろうな、と私は思いました。
他人が忘れているようなことをいい立てるのは、不調のリズムの振幅をわざわざ大きくするようなものだからです。
事実、その人が復活したという話は、いまだに聞きません。
三井の益田鈍翁は、中上川彦次郎によって経営の中枢から遠ざけられた時期がありました。
そのとき、鈍翁はどうしていたか、お茶を楽しんでいました。
そして中上川が行き詰まったとき、復活を果たすのです。
イギリスの名宰相チャーチルも若い時から好不調の振幅が大きい人でした。
困難に耐えて対独戦を指導し、ついに勝利を手にした最大の功労者です。
それが勝利をつかんだ直後の選挙で落選してしまうのです。
そのときチャーチルはどうしていたか。
絵を描いたリ歴史を書いたりしていました。
そして次の選挙で復活し、首相の座に再登場することになるのです。
彼の生涯はそのパターンの繰り返しでした。
不調のリズムに陥ったとき、それを恨み、こだわっていては、かえって不調の振幅を大きくし、その波に飲み込まれて視野を狭くしてしまいます。
腐らず恨まずこだわらず、距離を置いて余裕を持つ技術が大切です。
それが鈍翁にとってはお茶であり、チャーチルにとっては絵や著述だったのです。
その技術があれば目配りがきき、有効な戦略を備えることができて、好調なリズムに変えるチャンスがきたときに、逃さずにものにできるのです。
『一冊まるごと渡部昇一』致知出版社
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