番狂わせの起こし方

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野村克也 いいため話
画像:https://mainichi.jp/

「教えてほしい。今年で83歳になる老いぼれの話を、あんたら、なぜ聞きたがるんだ?」

取材に来た雑誌社の人間に、一度、真剣に尋ねたことがある。

いまのプロ野球事情をどう思うか。

プロフェッショナルとは何と考えるか。

あるいは、生き方や働き方へのアドバイスに至るまで…。

なぜか、一介(いっかい)の年老いた野球評論家である私のところに話を聞きたがる人が、じつに多いからだ。

すると、彼らに即答された。

「いや、他にいないからですよ」

まったくその通り、と笑ったものだ。

別段、私の話に特別な知見が詰まっているわけではない。

他に話してくれそうな年寄りがいないから来るだけなのだ。

裏を返せば、野球界で、ものごとをしっかりと言葉に変えて表現できる人間が、他にはいないということだろう。

番狂わせが起きた、と感じる。

私がプロ入りしたのは半世紀以上も前。

当時、野球の人気は圧倒的だった。

野球選手といえば、世間の誰もがうらやむ職業だった。

それだけに、全国からの野球エリートが集う場でもあった。

一方の私はテスト生として、南海ホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)というチームの端っこにぎりぎり引っかかるように入った人間だ。

誰よりも努力しなければすぐにふるい落とされる。

そんな思いでひとり必死に練習を重ねた。

結果として、レギュラーの座を勝ち取ったが、その後も不安が消えることはなかった。

稲尾和久や王貞治、長嶋茂雄など、同時代のスターや天才たちの背中に追いつくためには、誰よりも頭を使うしかなかった。

相手選手のデータを集めて分析し、配球を研究することで、プロのグラウンドにぎりぎりしがみついた。

おかげで長きにわたり現役生活を送れたが、引退後は監督となるには学歴がなく、ゴマすりも苦手だった。

「それなら日本一の野球評論家になろう」と決意し、野球の知見を広げるだけでなく、啓蒙書や哲学書、中国古典などを読み漁(あさ)った。

人間を知ることが野球を知ることにもつながると教えられたからだ。

そして身につけた野球観は唯一無二のものだったようで、新聞やテレビの評論で重宝されるようになった。

その評論が縁で、現役時代は縁もゆかりもなかった3つのチームを監督として率いることになった。

そして、いまだ。

私はいつも「敗者」からのスタートだった。

だから自分を磨かざるをえず、必死にもがき苦しんで、周りに追いつこうとしてきた。

変わることを厭(いと)わず、頭と言葉を武器にしてきた。

こうしてなんとかしがみつくことで身についた“筋力”のおかげで、この年になってもなお、現役のようにいろいろなところから声をかけてもらえているのだと思う。

一方で、学生の頃、プロ野球の現役時代、監督をしていた当時…周囲にいた才能あふれる者たちの姿は、あまり見かけなくなってきた。

才能がない。

運がない。

エリートではない。

そんな人間こそが、番狂わせを起こす。

『番狂わせの起こし方』青春出版社