
「俺は出世して偉いんだ」とかって思って天狗(てんぐ)になってる人は、あんまり神社にはいかないかもね。
だけど、どんなに偉くなっても神社に行く人は、「なんだかわからないけど、世の中には、すごい存在があるんだ」って信じてるの。
だから、神様の前では頭を下げるんだよね。
あまりに自分の力頼みばかりしていると、人は傲慢になっちゃうんだよね。
でも、自分の力をはるかに超えた絶対的なもの、すごいものがあるんだっていうことになると、人は謙虚にいられるんだよ。
「何か絶対的な、宇宙を創った存在がいるんだ」とか「それに比べたら自分はちっぽけな存在だ」とか、こういうのがないと謙虚さがなくなってしまうの。
ただ、こういう神様の話は2割くらいで、残りの8割の日常生活は、自分でしっかり生きていないといけない。
何でも神様ばかり頼ってちゃいけないよっていうことだよね。
だから、バランスでいえば、神事(かみごと)は2割で、仕事は8割くらいがいいよね。
ただね、これは私の考えだから、もっとピンとくる話があったら、そちらに従ったほうがいいよ。
そこで仮に間違ったバランスになったり、誤った行動に出てしまったりしても、それは、その人が人生の勉強の時期にあるということなんだよ。
たとえば、仕事もしないで神頼みばかりしている人は、それがちょっと極端なバランスだということを前世で学んできていないの。
だから、今世で学んでいる最中なの。
間違った行動をしているのは、勉強をしているだけなの。
どれくらいお酒を飲めるかは、人によって違うよね。
ビールを10杯飲んでも平気な人もいれば、1杯飲んだだけで青くなって吐いてしまう人もいる。
ここで平均値を持ち出してみても、バラバラなものを集めて平らにならしただけの数値だから、ぜんぜんアテにならないよね。
自分がどれくらい飲めるかは、実際に飲んでみないとわからないんだよ。
神事と仕事のバランスも、要するに、これと同じことなの。
自分で実際にやってみて、しっくりくるバランスを見つけるしかないんだよ。
そうすると、観音参りでも何でも、自分にちょうどいいのは月に1回だなとか、わかってくるよ。
私にとっては「神事2割、仕事8割」くらいがちょうどいい。
だけど、「じゃあ、そのようにするんですね」と言って、自分で何も考えもせずに従おうとするのは、ちょっと違うよ、ということなの。
『斎藤一人 大開運 人生を楽しむ仕組み』(斎藤一人&千葉純一)Gakken
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