
経験は貴重である。しかし、「何事も経験しなければ分からない」とまで話を拡げられると、それは嘘になる。
世に蔓延る極論の一種に落ちぶれる。
古の昔より、多くの人が毒キノコを食べて亡くなった。
それは個人にとっての悲劇である。
その悲劇を、我々は教訓として受け継いだ。
毒キノコは食べなくてもいい、経験しなくてもいいのである。
このような経験の集大成が人類全体の文化となり、知恵となった。
経験しなければ分からないことも、しなくても分かることもある。
しなくていい経験まで強要されるのは、「毒キノコを食え」と迫られることに等しい。
これは知恵の否定である。
『日のあたる所にはきっと影がさす』というのは、先人の知恵である。
大波乱の人生を望む者はよし、望まない者もまたよし。
感受性の強い者は、他者の失敗に敏感である。
鑑識眼に秀でているため、何もかもが「毒キノコ」に見える者もいる。
一般には毒でないものでも、毒になる体質を持った者もいる。
『食わず嫌い』は罪ではない。拒否は拒否として、一つの見識である。
「人生何事も経験だ」と主張する者は、何故「経験不要のものがあるという事実」を尊重しないのか。
孤独の中に暮らしたこともない人間が、何故それを経験しようとしないのか。
何事も経験だといいながら、何故「経験しないことも一つの経験だ」と認めないのか。
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処世の別解
吉田武 著
東海大学出版部
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