佐藤一斎の『言志四録』

志 いいため話
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明治維新を興した青年たちに大変な思想的感化を与えた本に、佐藤一斎の『言志四録』がある。

その佐藤一斎に抱かれて育った孫の士子(ことこ)が、敗戦の焦土の中で戦後日本を背負って立った吉田茂を育て上げた養母であったことは意外に知られていない。

吉田茂は土佐出身の政治家・竹内綱(つな)の五男として生まれたが、すぐ横浜の事業家・吉田健三の養子となり、士子の手で育てられている。

人間の資質、それも一番基本的な人生に対する姿勢は、幼い時おぶわれた母の背中で形成されたものである。

吉田茂はワンマン宰相だと悪口を叩かれるものの、戦前の反動として、「左翼にあらずんば人にあらず」として荒れ狂った左翼思想の嵐に抗(こう)し、一方では戦勝国としてカサにかかって諸政策を押しつけてくるマッカーサーの連合国総司令部(GHQ)と折衝し、戦後日本の平和国家路線を敷いたことは、やはり偉大な政治家として評価できる。

吉田茂の性格の一つである気ぐらいの高さ、節を曲げない一徹さは、あるいは養母譲りのものではあるまいか。

士子は折に触れ機会を見つけて祖父・一斎の『言志四録』の精神を説き、幼い茂を教育した。

例えば、次の一節は吉田茂の生き方を表現して余りあるものがある。

「当今の毀誉(きよ)は懼(おそ)るるに足らず。

後世の毀誉は懼(おそ)るべし。

一身の得喪(とくそう)は慮(おもんばか)るに足らず。

子孫の得喪は慮るべし」(言志録・八九条)

いま悪くいわれようが良くいわれようが、それは恐れることはない。

しかし、後世の評価は恐れるべきだ。

自分自身の成功失敗から来る得失は心配するに足らないが、子孫に及ぶ得失は考慮しなければならない。

吉田茂の一徹さは曾祖父佐藤一斎の精神によって裏打ちされていたと見ることができるのではなかろうか。

昭和二十年代前半、多くの進歩的文化人(?)が、ソ連をはじめとした東側諸国を含む全面講和条約締結を求めたのに対し、それは現実的ではないと一蹴し、昭和二十六年九月、サンフランシスコ平和条約、および日米安全保障条約を締結した時の吉田茂に、この姿勢を見ることができよう。

「人類の楽園」といわれた共産主義諸国が馬脚を現して崩壊し、それが幻想でしかなかったことが判明したいま、歴史は吉田茂の選択が正しかったことを告げている。

あのとき多く青年たちを扇動し、街頭デモを繰り広げた進歩的文化人たちは、一様に口を閉ざして当時のことを語らない。

それだけに吉田茂の先見の明と一徹さには頭が下がる。

「右顧左眄(うこさべん)しない。己の信ずるところを貫くのみだ」

吉田のそういう声が聞こえてくるようではないか。

『下座に生きる』致知出版社