
最近、私がとくに憂慮していることは、「個(私)」だけが肥大化し、「衆(公)」がないがしろにされている社会の風潮です。
一例として、電車内でのマナーがあります。
一見して健康体の人が、われ先に座席を奪い合う光景。
また、混雑しているにもかかわらず、人込みをかけ分けて先行く人の姿。
いずれも見るに堪えません。
少なくとも、かつての日本人はそんな「個」を限りなく小さくして、人への迷惑を気遣ってきました。
反対に、周囲へ配慮して「衆」を大きく育てるような生き方を普通にしていました。
ところが昨今、そんな「日本人の美徳」が影を潜め、「個」だけが肥大化しています。
もともと小さかった「個」が大きくなると、「個」と「個」がぶつかり合って衝突の原因になります。
昨今の風潮は、まさにこの状態が現象として顕在化しているのではないかと思います。
その原因はひとえに、楽しみを先取りする価値観が横行しているからです。
その点、かつての日本人は、楽しみを先へ先へと先送りする生きる知恵を身につけていたように思います。
本来、楽しみと苦しみを同時に味わうことはできません。
楽しみを先取りすることは、苦しみを先送りすることにほかなりません。
その分、「衆」をないがしろにする風潮が蔓延してきた。
この憂慮が、私一人の杞憂(きゆう)に終わればいのですが…。
『困難にも感謝する』PHP
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