
人間というものは男女の別なく、いかなる場合にもその人生に生きる際、慌ててはいけないのである。
というのは、人生に生ずる錯誤や過失というものは、その原因が、心が慌てたときに多いからである。
慌てるというのは、またの名を周章狼狽(しゅうしょうろうばい)というが、これは心がその刹那(せつな)、放心状態に陥って、行動と精神とが全然一致しない状態をいうのである。
だから、さまざまの過失や錯誤が生ずるのも当然である。
そしてそういう心になると、時には笑えない滑稽ともいうべきミステイクさえ行うのである。
たとえば、手に持っているのを忘れてその物品を紛失したと早合点して、大騒ぎして探すなどという、常識ではとても考えられない珍芸さえ演出するのである。
すなわち、結論的にいえば、真に沈着な心こそが、明澄(めいちょう)なる意識を生み出し、明澄なる意識こそがその行動を截然(せつぜん)として遅速緩急誠によくこれを統制するものである。
すなわち武道の極意を把握するものや、その他神技に入るような堪能清廉(たんのうせいれん)な人は、皆この真理にしたがっているからなのである。
『ほんとうの心の力』PHP研究所
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