
ある日のこと、父親が帰宅してみると、自分の家が火事になっていた。
家の中にはまだ彼の子供たちがいた。
それに気づいた父親は、あわてて叫んだ。
「火事だ! 早く外に出なさい!」
しかし、子供たちは遊びに夢中で逃げようとしなかった。
子供たちは二階の窓から顔だけを出して、外にいる父親にこう言った。
「パパー、おかえりなさーい、いま遊んでいるから後でねー」「だいじょうぶ、これ終わったら行くからー」「ねぇ、おにいちゃん、火事ってな~に?」
父親は真っ青になった。
いったいどうすればいい!?モタモタしていたら、火が完全に家じゅうにまわってしまい、外に出ることもできなくなってしまう。
子供たちに、火事の恐ろしさを説明している暇なんかない。
あの無邪気な子供たちが火に包まれ、絶叫しながら焼け死んでいく映像が頭をよぎる。
そんな悲惨なこと、絶対に、絶対にあってはならない!
追いつめられた父親は、子供たちに向かって悲鳴のような大声でこう叫んだ。
「こっちにもっと良いオモチャがあるよ! パパ、買ってきたんだ! さぁ、こっちで一緒に遊ぼう!」
「ええええ―――!? ほんと!?」「オモチャどこ? 僕が先だよ」「わああああ、おにいちゃん、待ってよー!」
父親の言葉に子供たちは一目散に家の外へと飛び出してきた。
その瞬間、火の手は家を覆いつくし、家は無残に崩れ落ちた。
九死に一生を得て無事に家の外に出た子供たちを、父親は泣きながら抱きしめた。
「ごめん・・・、ごめん・・・、ウソなんだ」
以上が、仏教史上最も美しい経典である『法華経』に書かれた「法華七喩」と呼ばれる七つの物語のうちのひとつである。
法華経の中で釈迦はこの物語を語り、弟子のシャーリプトラにこう問いかけている。
「シャーリプトラよ、この父親はウソつきなのだろうか?」
シャーリプトラは答える。
「違います。 これは方便(ある目的を達するための便宜上の手段)です」
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史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち
飲茶 著
河出文庫
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