
武士道といふは死ぬことと見つけたり。
この部分を戦前の日本の軍部は教科書にして小学生に配り、戦場で死ぬことを理想とするよう求めました。
葉隠の真意は違います。
ここには重大な言葉が省かれているのです。
「死ぬこと」の前に、「誰のために」が省かれています。
侍の本来の世界では、ここに「君主のために」が必ず入っていなければなりません。
すなわち「君主のために死ぬこと」が武士道のはずなのです。
ところが葉隠はあえて、それを入れなかった。
なぜか。
「君主でなくてもいい。自分以外の他の誰かのために死ぬことが、武士道だ」という考えがあったからです。
この一節は、死ぬことを語っているのではなく、「生きよ。人のために生きよ」と言っているのです。
「もしも自分のことばかり考えて生きていれば、どれほどうまくやっても、あるいは栄達しても、やがて必ず死ぬのだから人生はつまらない、空しい。
しかし、自分以外の人のために生きるのなら、命が次に繋がっていくのだから、空しくない。
生きよ、人のために生きよ」。
それが日本の武士道のほんとうの根幹精神です。
_______
ぼくらの哲学
青山 繁晴 著
飛鳥新社
![]() |