弱いなら、弱いままで進めば、勇気が出て来る

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弱さ いいため話
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《弱いなら、弱いままで進めば、勇気が出て来る》

憂鬱感や不安のない人間なんていやしない。

自分を大事にして、かばおう、うまくやろう、傷つきたくない、そう思うから不安になるんだ。

もし自分がヘマだったら“ああ、おれはヘマだな”と思えばいい。

もし弱い人間だったら“ああ弱いんだな”でいいじゃないか。

弱いからダメだとか、どうしてこう弱いんだろうと嘆いて、自分自身を責めることで慰め、ごまかしている奴が多いんだ。

そういうのは甘えだよ。

もっと平気で、自分自身と対決するんだ。

こんなに弱い、なら弱いまま、ありのままで進めば、逆に勇気が出てくるじゃないか。

《コンペイ糖のようにトンがれ》

どうも日本では、まるくなることばっかりを尊重するらしい。

「あの人は角がとれている」とか「練れている」ということが、ほめ言葉の味なものになっている。

どうもおもしろくない。

とくに、ほんとうに仕事をする芸術家の場合、対社会的にも、自分自身に対しても、ぜったいにコンペイ糖でなければダメだ。

仕事をしていて、いつも痛感するのだが…、だんだん調子がそろってくると、角がとれて、画面に充実した気分が出てくる。

抵抗がなくなってくる。

絵はいつでも安易に完成したがるんだよ。

ぼくは逆に、それを危機と見て、まとまってくる絵をぶち壊してやろうと頑張る。

そんなときは、自分で自分に喧嘩をふっかけるんだ。

コンペイ糖のようにトンがって、すでにできあがった自分自身とぎりぎりに対決する。

その緊張感が仕事を支える。

対社会の場でも、そうだ。

自分の立場や信念を純粋につらぬきとおし、独自な仕事を創造的に進めていこうとすれば、とうぜん、たいへんな無理解にぶつかる。

右から叩かれ、左からこづかれ、うしろから突きとばされる。

多くの作家はそういう抵抗に耐えかねて、無難な仕事のほうに逃げてしまう。

だれにでも肌ざわりのいいように、手ぎわよく作品をまとめ、ひたすらまるく。

そいういう作品は少しも本質的な矛盾をはらんでいず、退屈でやりきれない。

ぼくはそういう八方美人的態度を跳ねとばして、象徴的に、八方をがっかりさせるような態度をとり、満身に角を立てる。

『孤独がきみを強くする』興陽館