風があるから旗が動くのだ。旗があるから風が動くのではないぞ

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旗 いいため話
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参道の途中に、裏山に掲げた旗のよく見える場所があって、数人の僧が旗の方を見上げながら何やら議論している。

「風があるから旗が動くのだ。旗があるから風が動くのではないぞ」

「いや、いや、旗がなければ風のあることも証明されぬ。旗が動くから風があると知らされるのだ」

「なにを言うか。風があっての旗の動きではないか、旗は後だ。先に風があったから旗も動かされるのだ。そんな道理も分らんのか」

互いに言い争っているものだから、他の僧たちも集まってきて、だんだん大騒ぎになってきた。

中には「旗が動くか風が動くかなど、どちらでも良いではないか。坊さんたちも暇なものだ」と興味本位で眺めている者もある。

実は彼らからすれば、仏教の法理の要の問題を論じあっているつもりだから、互いに引くに引けないのだった。

(中略)

僧たちが旗を見ながらワイワイガヤガヤ、口角泡を飛ばしながら言いあっていると、そこへ一人の男がやってきて、彼らを指して言った。

「風が動くのでもない。旗が動くのでもない。あなた方の心が動いているのだよ」

一瞬、この男なにを言うのかと思った者たちも、言葉の意味を解したとたんに、「おーっ!」皆、絶句した。

「風が動く」「旗が動く」と、そんな風に言い争っているあなた方の心が、すでに動揺しているではないかと、そう聴いた者もあった。だが、男の言った意味はそうではなかった。

風や旗が動くと見るのは、われわれの一つ心が動いているのだと言った。

初めから仏心の中に生きていると思うのも心である。

迷っているときは、仏心を離れていると思うのも心である。

風が動くと見るのも心であり、旗が動くと見るのも心である。

同じ一つ心の働きを、どんなに二つに分けて論じ合っても、論じている心自体は一つ心の働きではないかと言ったのである。

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「無心」という生き方

形山睡峰 著

KKベストブックより