
努力していることを、
日本人は、「美徳」としてさらす。
華僑は、「当然」だから隠す。
華僑の中では、努力をアピールする人は「使えない人間」という烙印を押されかねない。
努力をするということは、「努力をしないとできない」とも言えるからだ。
華僑も努力する。日本人以上に努力家だと思う。ただ陰で行うのだ。
努力を見せずに成果を出せば、「こいつは能力が高い」「まだまだ伸びしろがある」と、周りに錯覚させることができるからだ。
そう思わせれば、チャンスがどんどん舞い込んでくる。
華僑は、移住先で“ゼロ”からスタートするのが通常だ。
だから、相手に自分のリミットを感じさせたくない。
いかに自分が有能で、相手にとって使う価値があるかを感じさせる。
そのためには、すべてをさらけ出してしまってはダメなのだ。
「私は努力を重ねてようやくできるようになったのだ」というのは、日本人の発想だ。
そういった日本的な美徳を好む上司やら営業相手もいるだろう。
だから、努力アピールを批判することはできない。
ただ、「努力が美徳」という発想を日本人が抱きがちだからこそ、そこで勝負するのはおススメしない。
「努力していないのにできる奴」そう思われるように努力をしよう。
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華僑の非常識な成功法則
大城 太 著
ぱる出版より
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