
私たちが思う幸福とは、
「苦しみがなく、人や物事が自分の思い通りに動く、
自分にとって都合のいいこと、うれしいこと」
を指すのではないでしょうか。
確かにいやなことはなく、物質や金銭や学歴や地位や美貌や権力など多くのものに恵まれれば、生きるのは楽です。
大きなよろこびごとがあれば、生きているのが楽しくなります。
だから人は、誰でも本能的にそうした生きる条件をよくして、
楽にいきたいと願い、自分をとりまく条件が満たされることこそ幸せだと感じます。
しかし、幸福と思える状態は長続きせず、
そういう状態を必死で求めれば求めるほど、辛いことが増していきます。
また、私たちは、幸福は今手の内にあるのではなく、
いつか希望や条件が満たされたときに実現するものと考えがちです。
そして胸のわくわくするよろこびこそ幸せと感じます。
でも、人生というものは、曇りも雨も嵐の日もあります。
幸せは移ろいやすく、つねに昂揚した気持ちでいることはできません。
そして、生きているのは、昨日でも明日でもなく、
「いま、ここ」だけです。
「内なる自分を変えることにより、すべては新たになる」と
聖パウロが言うように、
私たちは、自分自身への気づきを深めることによって、
生きるよろこび、幸福を味わうことができるのです。
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出典
[絶対幸福の尺度]
鈴木 秀子 著
講談社より
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