
ものごとを「あきらめる」ことに心理的な抵抗を感じる方に、 ひとつご紹介しておきたいことがあります。
それは「あきらめ」という行為は、はるか昔から日本人にとって 非常に前向きな言葉であるということです。
「あきらめ」という言葉に「 断念する、放棄する」といった意味がついたのは、歴史的にはごくごく最近の、明治期以降のことです。
本来の意味はどうだったかというと、「あきらめ」は「諦め」ではなく「明らめ」、すなわち「ものごとを明らかにする」という意味で使われていました。
ためしに万葉集をひもとけば、次のように記されています。
「秋の花 種にあれど 色ごとに 見し明らむる 今日の貴さ」
このよう に、じつに趣深い使われ方をしています。
これは「種類ごとに異なる花の美しさに気づかされた、今日はよい日だなあ」といった意味あいの歌で、「見し明らむる」は読んで字のごとく(花々の美しさを)見て明らかにするという意味になっています。
この「明らめる」がなぜ「諦める」に転じていったかについては諸説ありますが、私はじつのところ「明らめ」と「諦め」は現代でもかなり近い言葉ではないかと考えています。
なぜなら人がなにかを「諦める」ためには、その前段階で悩みの正体を「明らめる=明らかにする」必要があるからです。
いわば私たちは「明らめてから諦める」―――「諦め」と「明らめ」はセットになっているのです。
いずれにしても「諦め」が「明らめ」という美しい語源をもつ以上、かつての日本人が「諦め」をよい言葉、前向きな行為とみなしていたことは明白です。
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「あきらめ上手になると悩みは消える」
丸井章夫 著
サンマーク出版より
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