
茶道といえば千利休についてこんな話が伝わっています。
茶人の風雅ある日のこと、利休は、その子の紹安が、露地を綺麗に掃除して、水を撒くのをジット見ていました。
紹安がスッカリ掃除を終わった時、利休は、「まだ十分でない」といって、もう一度仕直すように命じたのです。
いやいやながらも二時あまりもかかって、紹安は、改めてていねいに掃除をし直し、そして父に向かって、
「お父さん、もう何もすることはありません。庭石は三度も洗いました。石燈籠や庭木にも、よく水を撒きました。蘚苔も生き生きとして緑色に輝いています。地面にはもう塵一つも、木の葉一枚もありません」
といったのです。
その時、父の宗匠は厳かにいいました。
「馬鹿者奴、露地の掃除は、そんなふうにするのではない」といって叱りました。
こういいながら茶人は、自分で庭へ下りていって、樹を揺ったのです。
そして庭一面に、紅の木の葉を、散りしかせたのでした。
茶人がまさしく求めたものは、単なる清潔ではなかったのです。美と自然とであったのです。
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「般若心経講義」
高神覚昇 著
角川書店より
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