最後の夕日

一月一日の 「初日の出」を拝む人はいるけれど 十二月三十一日の 「最後の夕日」に手を合わせる人はいない。 いやな事も多かった一年かもしれないけど 多くの出会いが今の自分を創ってくれた。 わかりもしない明日をただ待つことより 感謝の心で すべ […]

シャバという言葉は『苦しみに耐える』

本屋に行くと、よく『楽しく、ワクワク…』とか、『プラス思考で…』などといった本が沢山ならんでいますね。 もちろん、けっこうなことで、それでいいのですが、何となく気になるのは、楽しさとか苦しさとかに対する理解が、とても浅いんではないかと思うん […]

お坊さんにならう

平成二〇年に亡くなられた、曹洞宗大本山永平寺の貫首であり、曹洞宗の官長でもあった宮崎奕保老師が、あるときテレビに出てこんなお話をされていました。 「手洗いから出るときに、自分のスリッパを揃えるのはあたりまえ。 他の人が使ったスリッパが斜めに […]

大きな仏壇を買うことが先祖供養じゃない

先祖供養の本当の意味は、子孫であるその人のことを、「いてくれてよかった」って言う人が何人いるかなんだよ。 大きな仏壇を買うことが先祖供養じゃないの。 それは仏壇屋さんや宗教をやってる人が言うこと。 さらにいえば、それって商売なの。 仏壇に入 […]

老いたるは なおうるわし

久々に中学時代の同級会に出席しました。 かつてそれほど美しくなかった友が、深いしずけさをたたえた美しい人になっていました。 反対に美しかった友があまり目だたなくなっていました。 何十年か会わなかった間の、一人ひとりの友の生き方に思いをはせた […]

「諦」は、「悟る」ことと同じ意味

「あきらめる」は、「諦める」と書きます。 「諦」は、「悟る」ことと同じ意味です。 ふだん使う「断念する」意味ではなく、「つまびらかに見る」「明らかに見る」、仏の智慧を表します。 明らかに見るときに一番大事なのは、「苦しい」「つらい」という感 […]

0から一の距離は一から千より遠い

森信三先生の教えを受け継いだ教育者は多いのですが、なかでも私が最も敬愛する方が東井義雄先生です。 『培其根(ばいきこん)』という本の中に、こんな言葉があります。 「インテリは首から下を使おうとしない。勤労者は首から上を使おうとしない。頭と胴 […]

無事是貴人(ぶじこれきにん)

禅語の中で特に有名なものの一つに「無事是貴人(ぶじこれきにん)」『臨済録』という言葉があります。 「無事」という言葉から、「平穏無事で何事もないのが一番」という意味合いに取られることも多いのですが、じつはここで言う「無事」とは、そいう意味で […]

生きとし生ける者どもは死ぬであろう。

《釈尊はいわれる 生きとし生ける者どもは死ぬであろう。 生命は終(つい)には死に至る。 人は、作った業に従って赴(おもむ)き、それぞれ善と悪の報いを受ける。 老いた人々も、若い人々も、その中間の人々も順次に去って行く。 熟した果実が、枝から […]

禅の世界「好事不如無(こうずもなきにしかず)」

どんな人でも、何か良いことが起こると嬉しいでしょうし、素敵な物を手にすれば当然喜びます。 ところが、禅の世界には「好事不如無(こうずもなきにしかず)」『碧巌録』と言う言葉があり、「どんなに良いことでも、無いに越したことはない」と教えています […]

「生老病死」の四苦

「生老病死」という言葉があります。 仏教の言葉で「生まれること」「老いること」「病むこと」「死ぬこと」という4つの苦しみを指します。 とくに「老い」「病気」「死」への不安というのは、中高年以降にとっては大きな問題であることでしょう。 これら […]

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