
どんな人だってその人の人生という舞台では主役である。
そして自分の人生に登場する他人はみなそれぞれの場所で自分の人生の傍役(わきやく)のつもりでいる。
だが胸に手をあてて一寸(ちょっと)、考えてみると自分の人生では主役の我々も他人の人生では傍役になっている。
たとえばあなたの細君の人生で、あなたは彼女の重要な傍役である。
あなたの友人の人生にとって、あなたは決して主人公(ヒーロー)ではない。
傍をつとめる存在なのだ。
「あたり前じゃないか。またくだらんことを言うのか」
とまたお叱りを受けるかもしれない。
だが人間、悲しいもので、このあたり前のことをつい忘れ勝ちなものだ。
たとえば我々は自分の女房の人生のなかでは、傍役である身分を忘れて、まるで主役づらをして振舞っていはしないか。
5、6年前、あまりに遅きに失したのであるが、女房をみているうちに不意にこの事に気がつき、
「俺…お前の人生にとって傍役だったんだなア」
と思わず素頓狂(すっとんきょう)な声をあげた。
「何が、ですか」
女房は何もわからず、怪訝(けげん)な顔をした。
「いや、何でもない」
気づいたことを言っては損すると思ったからそれ以上は黙った。
しかし私はまるでこれが世紀の大発見のような気がして日記にそっと書きつけたほどである。
以後、女房にムッとしたり腹がたつ時があっても、
「この人のワキヤク、ワキヤク」
と呪文(じゅもん)のように呟くことにしている。
すると何となくその時の身の処しかたがきまるような気がする。
夜、ねむれぬ時死んだ友人たちの顔を思いだし、俺はあの男の人生で傍役だったんだな、と考え、いい傍役だったかどうかを考えたりする。
もちろん、女房の人生の傍役としても良かったか、どうかをぼんやり思案もしてみる。
こんなことに気がついたり、考えたりするのは私が人生の秋にさしかかったためであろう。
最後に…この傍役の話は結婚式の披露宴のスピーチに役立ちますよ。
お使いください。
《生き上手死に上手》
『生きる勇気が湧いてくる本』
遠藤周作 著
祥伝社黄金文庫
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