
ある大成功を収めた実業家は、
「成功するには、たった一つの秘訣を守れば良い。それは、『私は困っていない』と思うことだ」
と述べたそうです。彼が言うには、
「成功に導くものは、才能でも、努力でも、苦労でもない」
そしてそれは何かというと、その秘訣はとても簡単なことで、「私は困っていない」と思うことだというのです。
「私は、今、別に困っていない」とこう思えたとき、あなたは成功への道を、すでに、一歩踏み出しているのだ、というのです。
これは正に至言(しげん)だと、私は思います。
なぜなら、アラヤ識に収められた願望が実現してこないのは、心が「困ったこと」を抱いていることによる場合がほとんどだからなのです。
「困ったという思い」は、感情を暗くします。
そして、この情念の暗さは、「成功したい」という思念の力を打ち消してしまうのです。
因(いん)の縁(えん)が生起するためには、「陽の思念」と「陽の情念」がドッキングする必要があるのです。
誰しもが、「成功したい」「健康でありたい」などの陽の思念を持っています。
ところが、陽の思念を持ちつつも、同時に何らかの問題を心に抱えているのです。
この場合、その問題が「困ったこと」として、心の中に居住する限り、陽の思念は、陰の情念に滅ぼされてしまい、
それは「念力」として、外部に発動していくことはありません。
私たちが、困った問題に出会ったとき、その問題と向かい合って、じっくりと観察し、
考えてみれば、実は別に「困ってなどいない」ことに気がつくはずです。
なぜなら、どんな問題があったところで、「それでも、私は生きている」からなのです。
生きている限り、他のすべては問題ないのです。
たとえば、登校拒否の子供を持つ親の立場に立って考えてみましょう。
子供が学校へ行かなくても、親のあなたは、別に困ったりはしないのです。
食事はできるし、住む所もある。
生きていることに差し支えありません。
ただ、子供が学校へ行かないだけです。
人生の他のすべての問題について考えてみると、それらのほとんどは、生死に関係ないことなのです。
また、よしんば、それが生死に関係あることにせよ、死がどうにも逃れ得ざるものなら、
それを「困ったこと」として捕え、苦しみ、悩むのは、不幸なことなのです。
なぜなら、人生における不幸の実態とは、心の中に「困ったこと」を抱えていることにほかならないからなのです。
引用:小さなサトリ
無能 唱元
河出書房新社
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