
こどもに勉強を教えていたFさんが、外国人に日本語を教えることを始めた。
なれないこともあって、まごつくことが多かったが、いちばんびっくりしたのは月謝である。
日本のこどもは月末になると、封筒などに入れたお金をもってくる。
ところが外国人は、むき出しの金を差し出す。
はじめは、手が出なかった、とFさんはいう。
それで月謝袋をつくり、それに入れてもってくるようにした。
それでも、ハダカの金をもってくる外国人がなくならない、となげいていた。
日本人はものを買うとき、乗物の切符を買うときなど、機械的な支払以外、むき出しのカネを出すことはない。
カネは包むものと決めている。
見舞いなどで現金を手渡すことなど、いくら非常識だって、しない。
かならず、包み金にする。
結婚祝いはかつては品ものを贈るのがならわしだったが、同じものがダブって貰った人が困ることから、現金を渡すことが多くなった。
いくら乱暴な人でも、ハダカの金を出すことはない。
香典は昔から金ときまっていたが、きれいな新券の紙幣では、いかにも、用意して待っていたかのようでおかしい。
わざと折目をつけ、手許(てもと)にあったのをとりあえずもってきたように装う。
そして、包みの袋にはカネをかける。
品ものを贈るにしてもムキ出しは禁物である。
いくら親しくても、ビニール袋に入れたりんごを贈るのは、常識的ではない。
わけを話し、失礼を詫(わ)びる。
できれば、化粧箱に入れる。
そうすると、ずっと上等な贈りもののように見える。
むき出しがはばかられるのは、カネや品ものだけではない。
ことばも、ナマでは差し支(つか)えがあるから、手紙にする、ということがある。
顔をつき合わせているときには言いにくいことが、手紙なら書きやすい。
心やさしい、のである。
相手に強い打撃を与えそうなことは、なるべく、ゆっくり出す。
頭からノー、とやるのは、いかにも気の毒である。
まるで無茶な話でも、のっけに、“反対です”などとするのは大人気ない。
「さようですな。そういう考え方も可能でしょう。…」
といかにも、半分承知したようなことを言うが、決して、イエスではない。
“しかし、ながら”というようなことばをはさんで、すこしずつ、賛成できないことをはっきりさせる。
最後は、「どうも賛成いたしかねます」というようなことになる。
『本物のおとな論』海竜社
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