
あるお寺の庭にシカが入ってきて、芝生などを食べちゃったそうです。
そのとき、そこのお寺でいちばんエラいお坊さんが弟子たちにこうおっしゃったそうです。
「みんなで叩き出せ」
弟子たちは、師匠の言った通り、そのシカを追い出しながらこう思ったそうです。
「草ぐらい食べたっていいじゃないか」
師匠である、そのお坊さんは、別にいじわるで「シカを追い出せ」とおっしゃったのではありませんでした。
むしろ、別に草を食べたっていいんだ、と、お坊さんは考えているのです。
ただ、シカが人家に出てくるようになったら、きっと猟師さんに処分されるに違いない。
だから、シカは山にいたほうがいいんだ。
もう二度と里におりてこないよう、一度、叩き出して、痛い目にあわせる必要があるんだ、ということなんです。
愛って、お腹を空かせたシカに、草を食べさせてあげることも、確かに愛でしょう。
でも、シカが猟師さんに撃たれたりしないよう、山に逃げるように仕向けなきゃならない。
だから、一度痛い目にあったほうがいいんだ———と考えて叩き出すのも愛。
その場しのぎのやさしさが「愛」につながるとは限らない。
一見厳しい処置に見えても、それが深い「愛」につながることがある。
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絶対、よくなる!
斎藤一人 著
PHPより
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