相手の存在を認めて会話できていますか?

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会話 いいため話
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よく、「君はまだ若いから解らないかもしれない」とか、「経験してみないと、これは解らない」なんて、年齢や経験をひけらかして話す人がいますけど、どうも私たちは「今は不完全だけど、いつか完全になるための努力する」という考え方が染みついているんですね。

学校でも職場でも、そうでしょ。

努力して頑張って、あるところに到達しようとする。

そういう価値観から、マイナスのことを反省したりさせたりするんじゃないですか。

しかしそれなら、いつ完成するんですか?

いくつになったら完全なんですか?

あの人はもう年とりすぎて呆けてきたんじゃないか、なんて言われたら、いつが一番イイんですか?

やはりみんな、現在すでに完全なんだと思いますよ。

ある特定の価値観から見てじゃありません。

天から見て、ですから納得しにくいと思いますけど。

みんな本当は完全なのにその完全さが出てこない。

試しにでいいですからそう思ってみてほしいんです。

そしてどういう状況ならそれが出てくるのか、と。

完全さというのは輝きと言ってもいいと思います。

その人がパッと輝いて見えるのはどんな時か、ということです。

これは仮説かもしれませんが、私は笑いの中で出せる自分ほど幅広くて輝かしいものはないんじゃないか、と思っているんです。

たとえば職場で仕事の話しかできない、なんてのは、酷い職場だと思いますよ。

人間はもっとトータルな存在だし、そのトータルさが出せる場であってほしいですよね、職場も学校も。

たしかにどんな場所にも、あいつは本当に困った奴だってのがいるもんだと思います。

人が嫌がるようなことをワザとしたり、っていう人もいるかもしれません。

そんな人に説教して反省を促すのはあたりまえと考えるかもしれませんが、その人をよーく観察してみてほしいんです。

先ず、その人は滅多に笑わないんじゃないですか?

どうして笑えないのか?

たぶんその人の話が、ちゃんと聴かれていないんじゃないでしょうか?

「聴く」というのはとても難しいことですよね。

案外、人は他人の話を聞いていない。

聴かれないことが習慣化すると、ちょっとした言葉にも敏感になって、話すのを辞めてしまいます。

「そんなこと、あたりまえじゃないの」とか、「あっ、それ誰かも言ってた」とか、「だから何なの?」とか、「あなた、以前にも同じこと言ってた」とか、何気なく言っているつもりでしょうが、そうした言葉はピタリと彼らの口を閉ざしてしまいます。

ほんとうは誰もが完全であるのに、人は「聴かれない」ということだけで自らの完全さを忘れます。

その時その時で完全な自分というのは、ちゃんと聴かれる状況で、しかも笑える状況で、初めて実現するんじゃないかと思います。

『まわりみち極楽論』

玄侑宗久 著

朝日新聞社