
いつでも相手の上に立っていないと、気がすまない人がいる。
いつでも自分が一番でないと許せないようなタイプだ。
こういう性格の人は、概して、嫌われる。
人を愛するというのは、結局のところ、相手を理想化してあげることであり、相手を自分よりも上位に立たせてあげる行為。
したがって、自分が上に立とうとしていたら、うまく愛せるわけがないのである。
「お前と、つきあって“やる”」
「あなたを、彼氏に“してあげる”」
という態度を見せていたら、相手を不愉快にさせるだけであろう。
愛するというのは、相手を自分よりも上位に置き、「私のような人間と、あなたのように素敵な人が釣り合わないことは重々承知しております。それでも、私と一緒にいてくださらないでしょうか?どうか、どうか、お願いします」という低い態度をとってみせるからこそ、相手だって、皆さんの愛にほだされるのではないか。
何事につけ、張り合おうとする人間ではダメである。
私たちは、張り合おうとしたり、自分ばかり優位に立とうとする人のことなど、好きにはなれはしない。
むしろ、そいういう人とは、できるだけ距離をとって、関わらないように気をつけるのである。
「負けるが勝ち」という言葉がある。
人を愛するときには、まさにこの「精神」が重要である。
相手のためなら、自分はいくら負けてもよい、いやむしろ、喜んで負けてあげる、という気持ちがなければならない。
部下に好かれる上司は、部下と張り合おうとしたり、優位に立とうとはしない。
いつでも自分が優位に立とうとするような上司は、部下から「なんだよ、あいつは“上司ヅラ”しやがって、偉そうに」と陰口をたたかれているものである。
好かれる上司は、部下とお酒を飲むときも、「奢(おご)ってやっている」という意識ではなく、むしろ、「部下にわざわざつきあってもらっている」という意識でいるであろう。
そういうことを口に出さなくとも、部下はちゃんとわかっている。
だから、「奢ってやっている」という顔をする上司からの誘いは、できるだけ断ろうとするのである。
喜んで下手(したで)に出られるということは、人間としての“器が大きい”ことを示す。
人を愛するとは、そういう度量の広さを持つことでもあるのだ。
『アドラー心理学 あなたが愛される5つの理由』
内藤誼人 著
ぱる出版
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