人間には「こころの余裕」が必要です!余裕ありますか??

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こころに余裕を いいため話
画像:http://gahag.net/

だいぶ以前のことになりますが、日本経済新聞の「私の履歴書」に行政改革で辣腕(らつわん)をふるった土光敏夫さんが登場されました。

高度成長の盛りのときに、日本の贅肉(ぜいにく)を中央からそぎ落としたすごい人です。

そのなかで土光さんは、こんなことをお書きになっておりました。

人間は、百人集まれば百人とも同じ人はいない。

男と女が違い、背丈が違い、生い立ちや環境が違い、仕事も違う。

こころの状態も感情のもち方も同じではない。

それぞれに区別をもって人間は生きている。

そう土光さんはおっしゃっています。

私も、たしかに人間には区別があると思います。

ただ、その区別を差別と考えるときに問題が起きるのです。

たとえば、男と女は同じではありません。

その違いを差別にもっていくときに人権問題が発生するというわけです。

したがって差別はいけないけれども、区別は素直に受けとめる。

「けれども」と土光さんはいいます。

人間には一つだけ平等なものがある。

それは一日二十四時間という与えらえた時間の長さである、と。

なるほど、これだけは誰にも平等に与えられているわけで、異論のある人はいないでしょう。

今日は昼寝を一時間したから、自分の今日の時間は二十三時間だということにはなりません。

昼寝も一日二十四時間を生きるなかの一つの行為です。

つまり、一日二十四時間を自分の責任においてどう生きるかということが、その人間の生き方や人生を既定すると土光さんはおっしゃっています。

そいういうことを述べたあとで、土光さんは補足して、こうお書きになっております。

「一日の終わりに、ささやかな過ちを素直に認めて、それをやり直すこと」

つまり、前の日のとらわれや、こだわりや過ちを、次の日に引きずってはならないということでしょう。

私は、この意味するところは深いと思います。

それに続けて、さらにこうお書きになっています。

「次の日に前の日のことが残ると、次の日の半分、つまり半日は前の日のことで終わる」

一日二十四時間を生かすということは、一日一日の二十四時間を、その日限りの二十四時間として、今日は今日として生かしきるということでしょう。

だからこそ、その日のささやかな過ちでも素直に認めて、その日のうちにやり直す必要があるのです。

土光さんは行動の人といわれておりますが、これは実践を通して得られた土光さんの人生哲学といえるのではないでしょうか。

私たちは、どうしても過去を引きずりがちです。

昨日のことを今日に持ち越してしまいます。

土光さんはそれで半日つぶれるとおっしゃっていますが、なかには一日つぶれる人もいるかもしれません。

実際に、一年前のことを引きずり、乗り越えられないでいる人もいるのです。

やはり、一日一日を新しく始めることが大事です。

のちに土光さんのご著書を読ませていただきましたが、そのなかの「夜八時から十時の間に、たとえ五分でも十分でもいい、次の日の計画を立てること」ということばが目にとまりました。

このことばには非常に具体的で行き届いた示唆があると思います。

八時から十時というのは一日の疲れが出る時間、会社の帰りに一杯飲みたくなる時間です。

その時間に五分でも十分でも次の日の計画を立てる。

これが成功者になる条件だというのです。

実際にそのように生きた人でなければいえない、わかりやすい示唆に富んだことばではないでしょうか。

翌日の計画が立てられるようになると、人間はこころに余裕が生まれます。

そうなったとき、人は自分を心配することから離れ、他者に心配りをすることができるようになるのです。

心配することではなく心配りができること。

それは一日一日をしっかりと生きる人間にして初めて見せることのできる、他者への姿勢といえるでしょう。

『叶力(かのうりょく)』

石川洋 著

サンマーク出版