不完全な人間の寄り集まりである社会に生きる

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不完全な生き方

たしか、エドワード・リーンという人の本の中に、「他人の行動とか、事物を通して起こる“ままならないこと”に腹を立てた瞬間、私たちは謙虚さを失っている」と書かれてあったように思います。

他人から受ける不当な扱い、誤解、不親切、意地悪等から全く自由になりたい、なれるはずだと思うことは、すでに人間としての「分際」を忘れた所業であると書かれていたように思います。

修道院に入って間もない頃、人間関係に悩み、多くの不合理に心穏やかでない時、ふと手にして深く考えさせられた本の一冊です。

不完全な人間の寄り集まりである社会に生き、自分自身不完全であるからには、すべてが完璧に運び、思い通りになると考えるのは大まちがいであり、それは自分を神の位置に置くものでしかない。

「天が下のすべてのことには季節があり、すべてのわざには時がある。生まるるに時があり、死ぬるに時があり、植えるに時があり、植えたものを抜くときがあり…」と『伝道の書』も言っています。

「神のなされることは、皆、その時にかなって美しい」。

人の思うところは、必ずしも神の思うところと同じではありません。

科学や技術がめざましく進歩し、生死まで司(つかさど)るかに見える人間の偉大さが随所で証明されているこの時代、人間の精神の真の偉大さは、おのれの限界を知ることにあるのではないでしょうか。

《ままならない人生だからこそ、人間としての分際を知り、他の人に寛容になれる》(不完全な人間の寄り集まる社会で、神さまでもない自分が、すべてを思い通りに生きられるはずがない)

『どんな時でも人は笑顔になれる』PHP研究所