
人を使ってみると、こっちの思うようには働いてくれない。
それでいらいらして、腹をたてる人がある。
考えの足りない話である。
他人ではない自分のうちのものを使っても、弟妹が、子供が、注文通りに、働いてくれない。
それどころか、自分自身さえも、自分の命令に、従順とは申しかねる。
頭が早起きせよと命じても、体は寝返りをして、またひと眠りする。
頭は優しい言葉をかけよといっても、舌は平気で暴言をはく。
これを思えば、人を使って意のままに動かそうということの無理がわかる。
何かやらせてもしくじりが多く、使いにやっても気がきかないというが、こっちに教え方、言いつけ方が足りなかったのではないか。
田舎から出たばかりで、何もかも勝手がちがう場合もあれば、聞きちがいということもある。
(中略)
「人を使う」という。牛を使う、馬を使う、きかいを使うというならわかる。
しかし、人間が人間を使うということになると、その思想に問題がある。
仕事が大きくなれば、一人では出来ない。
そこで協力者を求める。
共に働いて貰うのである。
主人が家来を使うように考えたら、大まちがいである。
女中を使う、丁稚を使うといった気持ちを清算せねばならない。
会社にしても、社長あり、重役あり、平社員あり、雇員ありというのであるが、それは仕事を進める組織の上の分業であり、上下の関係ではない。
人間対人間関係では、全部同列、全部平等である。
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楽園
後藤静香 著
善本社
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