仁徳天皇の“民のかまど”という伝承

天皇の幸せ

今からおよそ千六百年前の話として、仁徳天皇の“民のかまど”という伝承があります。

あるとき、都を眺め渡した仁徳天皇は、ご飯どきなのに家々のかまどから煙が立ち上がってこないのをご覧になり、民の生活が困窮しているのではないかと、胸を痛められました。

そこで天皇は、三年間、税を免除することを決めます。

三年後、再び都を眺め渡すと、今度は家々のかまどから煙が立ち上がっていました。

仁徳天皇は幸せそうに微笑まれ、「私は豊かになった」とおっしゃったそうです。

ご自分のお召し物は古び、宮殿の屋根や壁の一部が朽ちていたにもかかわらず―――。

おそらく「自分の幸せは民の幸せがあってこそ」というのが、仁徳天皇の思いだったのではないでしょうか。

民が豊かになったのを見て「私は豊かになった」と喜ばれる姿は、まさに、一元の国の象徴的な感性ですね。

そしてその思いが、歴代の天皇に脈々と受け継がれているのでしょう。

皇室は代々、国民を「大御宝(おおみたから)」と呼んできました。

民を「宝」とするだけでも、世界に類を見ないのに、尊称を付けて「御宝(みたから)」、さらに「大いなる御宝」としたのです。

(「古事記が教えてくれる 天命追求型の生き方」白駒妃登美 著 / 富田欣和 監修 / HSより)

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人知れず国を思い、国民を思う。

昭和天皇の、こんなお話もあります。

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昭和二十年、日本は戦いに敗れ、占領軍が日本に進駐してきました。

そのとき昭和天皇は、占領軍司令官マッカーサー元帥に面会して、

「私はどうなってもいい、国民が助かれば。

それから国民の餓死を救うために、アメリカからの食糧援助をお願いしたい。

皇室の財産をその費用にあててください」

と申し出ました。

マッカーサーは、この昭和天皇のお言葉を聞いてびっくりしたそうです。

というのも、マッカーサーは、昭和天皇が命ごいに来たと思っていたからです。

マッカーサーは、この昭和天皇のお言葉に感動し、

「数千年の世界歴史のうえで、いまだかつて国民をかばって生命を捨てるという君主のあることを聞いたことがない」

と、彼の自叙伝の中に記しています。

昭和天皇はこの会見の内容については、侍従長に、「誰にも話さないという男の約束です」と、一切ご自分から語ろうとはなされませんでした。

そして、空襲で壊れた御所や宮殿の修復工事を、「国民の生活が安定するまでは」と許されず、修理がなされたのは、実に戦後二十年以上もたってからのことでした。

(「道徳の教科書」渡邊毅 著 / PHP文庫より)